投票日(2019年7月22日)

妻「投票は何時ごろに行こうかな」

夫「そうだな、早めに行こうか」

妻「9時頃にしようよ。その前に洗濯を終えておくから」

夫「どこに投票しようかな」

妻「どこに入れたらいいの? 今回は」

夫「〇〇党がいいんじゃない」

妻「じゃあ、そうする」

自転車にめいめい乗り、3分ほどの

小学校の体育館へ向かうと

土足対応のシートを歩き

鉛筆で書く

体育館をあとにしてふたたび

自転車に乗って家路につく

投票日の朝はいつもこんな感じですぎるのであった

 

妻が逝ってしまって初めての投票日を昨日迎えた

投票日の翌日、つまり今朝になって

朝刊を開いたとき

投票に行かなかったことに気がついた

投票日の朝のいつもの語らいがなくなってしまったせいだろうか

上手と下手と(2019年7月21日)

じょうずにしないとならない

こどものころから
言われ続けたせいだろうか
じょうずにできないことを
いつしか避けて避けてくらすことが
習慣となってしまった

へたでもいいじゃないか
やってみればいい
それだけのこと

こんなシンプルなことに気づくには
遅すぎたのだろうか?
そんなことはないよね。

夏の楽しみ 夏の苦しみ(2019年7月17日)

暑くて暑くてとぐちを言っていたら

心頭滅却すれば火もまた涼し

と言い返されてしまった

 

暑さを感じなくなるほど熱中するものが

あればどんなにいいだろう

 

そういうものがないときだって

夏の楽しみというものがある

 

たくさんまいておいたアサガオの種が

花をつけ、毎朝,その数を数えた

朝に咲いては夕にしぼむ

毎朝咲き続け、数え続け、

夏は終わった

 

夏の京都(2019年7月15日)

楓の葉っぱはまだ新緑のみずみずしさを
保っている
地面を見ると苔が雨上がりにはあざやかな
緑色に変わる

もう三月もたてば、楓は葉を赤く染める
その正確さはコンピュータ制御のようだ

赤く染まった葉が散ると、枝のかたちが
あらわになる
空が広くなる

もめごとの多い家族(2019年7月2日)

話を聞かない、聞く気がない

口を開けば、ちがうで、ちゃうで

ときには

何言うてるねんあほと罵声を放つ

そりゃあ、もめますね

しまいには誰も口をきかなくなった

 

開口一番

ああせい こうせい

相手がいやがろうが何を言おうが

ああせい こうせい

そりゃ気持ちいいだろうさ

命令する快感は止められない

うちは正しい

正しいことを言うたらあかんのか

ますます増長し

ああせい こうせい

そして誰からも相手にされなくなった

辞書(2019年5月19日)

なじみの喫茶店
何もしないでぼんやりと
しばしの時間

シニアの会話が聞こえてくる
「英語の辞書はやっぱり紙の辞書がいいなあ」
「電子辞書はめんどうくさいよ」
と片方が言うと
「紙の辞書ならついでに他の単語を見たりするもんな」
ともう片方が言う

ここから話が飛んで
「辞書は古本屋で売れないらしいよ」
会話がとぎれ、シニアの二人は去って行った

自分の本棚を思い出す
使いこんだ辞書の黒ずんだページ
買ってくれた両親を思い出した