小さなユリが大きくなれば(2019年1月12日)

三つ子の魂というくらいだから
人は三歳で完成してしまう
小さなユリと呼ばれた女の子は
20歳になっても30歳になっても
心は小さなユリのままだ

今、目の前にわれとわが娘がいるのだが
三歳の魂を今ももっているわけで
大人の人間だと思わないほうが
いいわけだ

三歳のころの姿を思い出して
ときには思い出にふける

挨拶はこわい(2019年1月12日)

寒さ厳しい季節である
それでも寒さがやわらぐ日も
あって冬日うるわし、と思う日がある

いつも行くコーヒーの店で
スポーツ新聞などひろげる気にもならず
ぼんやりとカップの中をのぞいたりしていると
隣りの席ではこんな話をふたりの男がしていた

挨拶ってこわいんだよな
どこが?
挨拶したいって言うから会ってみると
なんのことはない、新製品の売り込みだったのさ
こんにちはと言うだけだと思ってたんだろ
それで断るのにまたひと苦労したわけさ
だからさ
挨拶したいと言われたにうっかり
会ったりしないことさ
でもそれじゃ営業の人間は困るだろ
挨拶を口実にするのは彼らだって
死活問題なんじゃないの

このあとは聞きたかったのだが
用事を思い出して店をあとにした

年の残り(2019年12月30日)

ああもう年末、今年が終わる
終わったとたん、新年が始まる
こういうのは終わりとか始まりじゃなくて
単なる区切りなのではあるまいか

時が一本の糸のようなものなら
糸は途切れ目なくずっとずっと続いていく
そんな糸に引っ張られて
われらもずっとずっと続いていく

ある日、われらの糸は断ち切られる
もういいんだ 終りにしようぜ

詩集『ちいさなユリと』(2019年12月30日)

娘とふたり向かい合って夕食をとっていた
はてしない時をさかのぼり
『小さなユリと』
という名の詩集を思い出した

幼い女の子を育てる男が書いた詩集である
シュミーズを洗い、パンツを洗いと
歌う

もし私の娘がユリと同じ年頃なら
きっと私も作者黒田三郎と同じように
娘に夕飯を食べさせ、風呂に入れ、
寝かしつけるだろう

目の前の娘は二十歳も越えた年頃なのだが
私にとってはユリと同い年の女の子に
重ねたほうがしっくりとくるものがある

本日のランチと失敗(2018年7月30日)

ランチの後に

コーヒーとデザートが待っていた

失敗さえなければ

銀行へ行った

たまった硬貨を預金通帳に入金

銀行ATMで画面をタッチ

ジャラジャラと

硬貨を投入

通帳が出てくるのを待っていた

 

いつまでも通帳は出てこず

時間がすぎていく

ATMの向こう側では

数人の行員の話声が聞こえ

やがて一人が現れた

硬貨にクリップが混じっていました

短く告げて戻っていった

故障の原因はそれだったのだ

すいませんと謝り

ATMをあとにした

 

コーヒーとデザートの時間はなくなり

混じっていたたった1本のクリップを

のどにささった魚の骨のように

見つめた

 

クルマを運転する(2018年7月29日)

5月連休のころだったか
クルマの運転のしかたを変えた
狭い道の向こう側から
対向車が来たとき
いつも
道幅が広くすれ違えるところまで
バックすることにしてみた

あたりまえだがクルマは後ろにも進める
ミラーを見て慎重に
バックする

対向車はするりと
難なく通過する
そのあとに
また前進をするわけだ

対向車が譲ってくれる、つまりバックしてくれるときが
ときどきある
そのとき以外は
ほとんどいつも譲ることにした

60秒かもっと時間がかかっているはずだ
対向車と意地の張り合いがない分
気分的に穏やかさを失わない
60秒の価値はある

毎日シンデレラ(2018年7月26日)

毎日スタンウエイ

こんななまえのブログがある

スタンウエイとは?

知る人ぞ知る

ピアノの最高のものだ

ブログ作者はスタンウエイを

毎日弾く

 

家事をこなし介護をこなし

愛犬の世話を怠らず

もちろんフルタイムの仕事にも

心を配る

そんな人がいる

私は毎日シンデレラよと

言わなくてもわかる

シンデレラは夜会に行ったけれど

私は夜会抜きのシンデレラ

これが私のかけがえのない人生