地球の1日

小学校で地球の自転と公転を習ったとき、担任のK先生がこんな質問をした。
「もし引力がなくなったら、どうなると思う?」
「地球が落ちていきます」
私は手をあげて、答えた。
「落ちるっていうけど、どっちへ落ちるの?」
「下へ落ちると思います」
「そうすると、どっちが下なの?」
ここから先、私は答えられなくなった。
今もこの問いに私は答えられず、学ばないまま過ぎた年月の何という長さだろう。

自転と公転がなぜ起きるかを私なりに考えてみた。
もし引力が働くだけならば、地球は太陽に引き寄せられる。ところがそうなりたくないので、太陽の周りを回転することによって遠ざかろうとする。こうして引力が遠心力に打ち消される。

また別の理由を考えてみた。
じっとしている状態に耐えられないからだろう。じっとしていることには耐えられなくて、公転と自転を行なうことでたえず、太陽からの距離が一定になるように地球自身の位置の調整をしているのではないだろうか?ちょうど電車で隣り合って腰掛けているとき、微妙な距離感を保つために細かな動きをするように。
稚拙な、ナイーブな、素人の考えなので、間違いだろうと思うけれども、一面の真理を含んでいることを期待している。

来る日も来る日も、地球が一日にしていることと言えば、自転と公転である。これ以外のことを何もしていない。宇宙という空間があり、そこに太陽系があり、太陽の周りを地球が回る。思えば不思議なことだ。
自転のスピードを計算してみよう。赤道上では、
4万km÷24時間=時速1666km。
とてつもなく早いのに、地上の我々はまったく感じることができない。公転のスピードの計算だってできるはずだけれども、あいにく1周の距離を調べられてなくて、計算できない。おそらくこちらだって時速数千kmだろう。

地上の万物には1日が与えられている。犬の一日、ネコの一日、花の一日、イノシシの一日・・・・ いくらでも並べていける。何もかもがそれぞれの一日を過ごしているわけである。このこともとても不思議に思う。