秋の空 

 風もなく、暖かな日よりの日曜日だった。空き地にビニールシートを敷いて、寝ころんだ。こうすると空が見やすくなる。

 しばらく空を見ていた。雲の動きがゆっくりだった。

甲子園 その1 甲子園駅

 甲子園と言えば、甲子園球場を思い浮かべる人がほとんどだろう。阪神電車の甲子園駅はそこへいたる道中でしかない。私にとっては半世紀も昔に乗り降りしたふるさとの駅である。駅と球場とは至近距離にあって、途中、簡易食堂が軒を並べていた。行き帰りにその前をとおって歩いた。まもなく始まる試合の見物客の長い行列に阻まれながら、そしてダフ屋さんの声を聞きながら、帰宅の途次を急いだ。
 今も同じ光景なのだろうか? 

 球場の北側を高速道路が横切る。芝生の植えられた広場はなくなった。それは致し方のない空間の利用なのだろう。

 去年、思いついて、甲子園駅に行ってみた。過ぎた半世紀はもう戻って来ないけれども、京都から1時間半の道のりで着いた。そこには同じ空間が残されていた。駅のプラットフォームがあまりに狭いのに驚いた。記憶の中では決して狭いと感じたことはなかった。思わず想像したことがある。
 はたして土俵ひとつがこの幅の中に入るだろうか?
たとえ土俵ひとつを描けたとしても、土俵を割ると線路に落ちてしまう。そんな幅の狭さだった。
 地上からの高度が相当あることにも驚いた。つまり幅が狭くてしかも相当の高さの場所に立つことになるわけで、眺めがよい反面、高所恐怖を感じそうになった。少年だったころにはそんな感覚はまったくなかったのに。

 けれども、プラットフォームを大改修したりしないで昔の姿をもうしばらくとどめていてほしい。甲子園の町はすっかり変わってしまったけれども、駅は階段もプラットフォームも昔のままだった。そのような気がする。これは錯覚だろうか?
 半世紀も持ちこたえたのだろうか?

柿の葉色づく

 季節は確実に秋の真ん中へ向かって進む。

柿の葉が赤くなった。梢のてっぺんにカラスがよく止まりに来る。
実をねらっているだろうか?

平安神宮 その2

 門を出ると左側に日本酒の樽が奉納されていた。

  酒樽には当然、お酒が入っていると長い間、思っていた。ところが、ある日ある人からからっぽなのだと聞かされた。
 確かにそうかもしれない。重くて扱いに不便だし、夜間だれかがこっそりと飲んで酔っ払うことだってありそうだ。
 でも本当はどうなのだろう?

平安神宮 その1

 移動の途中、平安神宮に立ち寄った。本殿まで至らず、門に入っただけだけれど。

ふだんは本殿のずっと北側の通りをとおる。通るたびに、一度寄ってみなくてはと思いつつ年が過ぎた。修学旅行生と思われる集団が見られた。

暑がり 寒がり

 ちょうど今の季節、服装がきれいに二通りに分かれる。暑がりの人と寒がりの人とではまるで違う。暑がりの人はTシャツにはだしでサンダルをはいている。寒がりの人は長そでの重ね着の上にさらに合いのコートをはおる。

このように暑さ寒さの感覚の個人差は大きい。そうだったら、制服の中学生や高校生の衣替えにも時間の幅をもたせてみたらどうだろう? 一斉に衣替えするのはそれなりの目的があるのだろうけれども、一人一人の感性を大切にしてやりたい気持ちがする。

難読の姓

 9月にはなぜかわからないけれど、難読の姓の持ち主にたくさん出会った。
栗花落さん
霊岳さん
今久留主さん
善定さん
私は全部、読めなかったです!
読者の方々、読めますか?

古代米

 古代米の稲穂が垂れている。普通のコメの稲穂よりかなり小ぶりだ。色が黒っぽくて、米そのものも黒味がかっている。味はとてもいい。

道案内

 土曜日の昼下がり。診療所の仕事を終えた帰宅の途中、観光客らしい数人が地図を持って道のわきに立っている。お節介をして行先を聞いてみると、「竹○」という湯豆腐の店だと言う。道順を教えてあげた。
 しばらくして、よく似た名前の「竹△」という店を教えていたことに気づいた。しかしすでに手遅れだった。何年も以前のこと、修学旅行らしい高校生の一群から「竹○はどこか?」ときかれたことを思い出した。知らないと答えるしかなかった。あのときは台風が近づき、風雨が激しい日だった。そんなことまで記憶がよみがえった。
 その「竹○」は地図や観光案内にのっている店らしい。嵐山のにぎやかな中心部からかなり離れたところにある。そのため、地元民のあいだではあまり聞かない。

嵐山にしても嵯峨にしても、地図を片手に観光客が歩いている。標識がないからだとか、道が縦横に整然と通っていないからだとか、理由が語られるけれども、知らない土地というのはもともとわかりにくいものだ。
新聞やテレビの報道で「ワシントンで」「北京で」と聞いていて、何となく分かった気がしていても、現地に行けば、どこがどうなっているのか何も分からないのではないか? 少なくとも自分に関する限り、地図を広げて半日でもたたずんでいないと一歩も歩けないような気がする。
 空間を理解することは実にむずかしいことなのだと思う。

 高さ5センチメートルくらいの苗でもらったムクゲを植えて2年がすぎた。夏の花なのに秋に花をつけた。香りはあまりないようだ。

赤い羽根

 台風一過の秋晴れのように、秋雨前線が通り過ぎて、青空が美しい。共同募金の始った日だけれど、移動経路には見当たらなかった。

午前の仕事を終えて、外に出ると、こんな空が広がっていた。