あとかた(平成26年6月24日)

歴史に出てくるものは

そっくりそのまま今も残っている

と思いこんでいた

イスタンブールと聞けば

ペルシアの古都が現存していると

信じこんでいた

古都は跡形もなく消えて

ただ今の街がどこまでも

広がると聞いたとき

落胆は大きかった

思いめぐらすなら

食卓だって昨日までの

あれやこれやの食べ物は

どこにもない

こうして

万物が消えていく

あとかたも残さずに

悲しいときは(平成26年6月22日)

ある高校文芸部の文集に

のっていた詩を思い出していた

日曜日

何かに従事するともなくさまよっていたら

ひとつの詩にたどりついた

悲しいときには鉛筆をけずろう

こんなフレーズだった

作者は実際にそうしていたのかもしれない

まねてみたら

鉛筆削り器を使うので

鉛筆が何本あっても足りなかった

そして今も鉛筆削り器を使うのだが

悲しいときには落ち葉拾いをしよう

一枚拾うたびに、羽一枚ほど

心が軽くなっていく

落ち葉は無数にあるので

悲しみ対策には十分である

樫の木は知るまい

葉っぱがこんな役にたっているとは

 

 

同行二人(平成26年6月18日)

同行二人なので安心せよと

さとされるのだが

我執と二人組を

組んだが最後

心は

穏やかではいられない

起きてから寝るまで

わたし

わたし

とささやき続ける

この我執を風がどこかへ連れ去ってくれたなら

青空に浮かぶ

白い雲ひとつさえ

美しい

わたしのものではないけれど

 

念ぜずともはなひらく(平成26年6月18日)

念ずればはなひらく

真民翁はかく歌う

真理である

真理はいつも二つ

もう一つ真理がある

念ぜずともはなひらく

季節は水無月

アジサイが咲き誇り

フヨウは小さなつぼみを

つけた

ムクゲもサルスベリも

小さなつぼみをつけている

真夏を彩る花々は早

準備を始めている

念ぜずともはなひらく

この不思議さ

念ぜずともめぐってくる季節

この不思議さに

身をゆだねる

身を捨ててこそ(平成26年6月16日)

アジサイは今日も

色合いの異なる薄紫の花を咲かせていた

6月の見慣れた風景であるが

その張りつめた花のひとひらは

厳粛そのもの

花ひらくためには

われとわが身は種にならねばならぬ

花ひらくのはわが身ではない

念ずるばかりか

わが身一身のことは

忘れてこそ

はなひらく

坂村真民(平成26年6月16日)

いつも送られてくる税理士事務所の

1枚の通信で知ったのだが、

坂村真民という名の仏教詩人が

いたという。

『念ずれば花ひらく』という題の詩集を

出版しているというので1冊注文することにした。

ネットで見つけた1編の詩がある。

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花は一瞬にして咲くのではない。

大地から芽から出て葉をつくり、

葉を繁らせ、成長して、つぼみをつくり花を咲かせ、

実をつくっていく。

花は一瞬にして咲くのではない。

花は一筋に咲くのだ。

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そこでオマージュを。

太古の昔にひらいた

ひとひらのはなびら

受けつがれて受けつがれて

10万年を超える時間を

わたってきたのだ

今ここにひらく

ひとひらのはなびら

受けつがれて受けつがれて

10万年を生き延びていくのだ

無心に無心に

未来なんて考えもしないで

 

水出しアイスコーヒー(平成26年6月15日)

5月末に36度まで気温が上がった。

すっかり夏気分になった。

ところがこのところ30度をわずかに

超える程度の気温が続く。

地面が午前中から熱くなる感じは

まだなくて、やはり、今は夏が

始まる前の助走なんだと

気づかされる。

アイスコーヒー作りの季節がやってきた

しまってあった器具を取り出して

作り始めた。

ところが水がしたたり落ちない。

点滴の穴を掃除してみると

したたり始めた

出来上がりを試飲してみたところ

味が薄くて麦茶のよう。

コーヒー豆の粉を掃除してみて

わかったのは全体にしみていなくて

水がどうやら素通りしてしまったようだ。

という次第で本日は失敗の結果。

ワールドカップも負けたし

ついていない日曜日だったようだ。

6歳の魂(平成26年6月15日)

先生に引率されて

小学1年生の集団が

2列になって道を進む

それを見て手を降り続ける

海外からの旅行者

日本で言えば還暦をとうに過ぎた婦人である

かわいいなあ、いいなあ、戻りたいなあ

そんな気持ちが表情にあらわれていた

6歳には年なりの魂がある

考え感じ苦悩する魂がすでにある

そんな魂を内に秘めた一群が

過ぎ去ったあと

くだんの婦人は何を思ったのだろう

ふたたびアイ ビリーブ(平成26年6月13日)

「現代教養文庫」という文庫本がかつてあった。

「私は信ずる」は

昭和32年に初版で、私が持っているのは

昭和43年の27刷りのもの

活字は現在の文庫本より一回り小さい

紙は黄ばみ字は薄れ古色蒼然としている

私以外には

誰からも忘れられた本のひとつである

 

 

 

 

中身はイギリスで1940年に発行された

エッセイ集である。

 

 

ちまたにはやるもの(平成26年6月13日)

やれ終活だ

やれエンディング・ノートだ

やれ生前葬だ

こんな言葉がちまたにはやる

雨あられと

こんな言葉がふってくる

陰気な言葉が世間を闊歩する

これはたまらん

誰か言わないのか

オレは生きるのに忙しいのだ

後は知らんぞ

よろしく頼む