去りゆく5月(2017年5月29日)

4月は終わった
6月はまだ来ない
こんな日には
波打ち際で
日が暮れるまで
足をひたして
歩いていよう

夕焼けに空が染まり
水が急に冷たくなる
そんな時刻に
まだあたたかい砂を
はだしで踏んで
歩き続ける
どこまでも
あてもなく

三千世界(2017年5月14日)

20億光年の孤独
だってさ
こおろぎがささやく

そりゃそうだろ
20億光年しか知らなければ
孤独だろさ
ありが答える

オレらときたら
ずっとでかい世界に生きてきた
三千世界なんだぞ
三千世界には孤独なんて
ありやしない
孤独な生き物なんていやしない

母の日(2017年5月14日)

記念日は何のためにあるの
子は母にきいた
忘れるためにあるのよ
母の答えを子は理解できなかった

母亡き後の一人生きる時間
芯棒のないクルマに
乗ったらかくあらん
忘れ去ることに
勤めるありさま

かくて日々は秩序をとりもどし
母の日だけは
安んじて
思いにひたる
きょうの花々
カーネーション

かしこすぎる人(2017年5月13日)

賢すぎる目をしていたら
何をするのもむだに見えてくる
人のなすこと
世の動き
何から何まで
むだばかり

けれど
少し頭がノータリンなら
何もかもが美しく見える
自然の移ろい
世の動き
人のなすことすべてが
いきいきと

自分もその渦中で
踊りたい
その渦中に
融けていきたい

ふみんホールと二人の男(2017年5月13日)

一人の男がいた
すばらしい演奏だったな
途中で眠気がさしたけど
最後まで聞き飽きなかった
満足して男はホールを
後にした

もう一人の男がいた
ちっとも
眠れなかった
一晩中
こんな夜もあるもんさ
男はつらい朝を迎えて
ホールを後にした

一人目の男は府民ホールに
二人目の男は不眠ホールに
ときおり
足を運ぶのだった

5月(2017年5月6日)

月日は流れ去り
早くも時は5月
草いきれに夏の香りがただよう

3日 お経のごとくに憲法を読み
4日 庭に落とされたネコのフンの始末
5日 我らが手を離れたこどもは今いずこ

かくて連休は終わりぬ

道案内(2017年5月5日)

観光地の真ん中に暮らしていると
行楽客から道を訊かれることしばしば
今年からは教えないことにした
知っていても知りませんですませてしまう
なんて意地悪なんだろう

しかしこれにはわけがある
考えているのだ
道を歩くときはただ歩いているのではない
思考の時間なのだ

思考をさまたげる不意の質問には
知らないと答えて
思考を続ける

道くらい調べぬいてから来いよな
やたらと人にきくもんじゃないぞ
地元民は忙しいのだぞ

しかし行楽客はただききたいのではなく
未知の土地で誰かと
触れあいたいのだ
ともに生きてここにいるあなたとわたし
そうだね
人のぬくもりがほしいのだろうな

上り千人下り千人(2017年5月4日)

人の往来の多いときに
こんな表現がある
街道を行き交う人々の
姿がよみがえってくるような
いにしえ言葉だ

京都の観光地は
どこも人の往来が
かまびすしい

錦小路もまた同じ
食べ歩きにスマホ歩きが
加わり
さらに幼児も老人も
左右の店に目を光らせる
なんぞうまいものはないかいな

新車に乗りたい(2017年5月3日)

「お客様の手に渡ったとたん、新車でなくなります」
販売員の言葉が耳に残った
そうだ
今、クルマ販売店を出たばかりだが
もう中古車だという
そうするといつ新車に乗ったことになるのだろう
運転席の男の脳裏をかすめる

新築マンションやら新築戸建て
住み着いたとたん
中古マンションやら中古物件になるのだ

新調した背広だって
袖を通したとたん
古着になりはてる