谷川俊太郎氏作品の違和感(平成29年4月19日)

初めてその作品に接したのは

高校に通っていた頃

『二十億光年の孤独』という第一詩集だった
なぜ二十億光年なのだろうか?
十億光年でもなく三十億光年でもなく
こんなつまらない疑問がわいてくる
二十億光年と言うしかない必然性のような
ものをくみとれないのだった

そして今また

『朝』という』という作品では

100年前には僕はいなかった
100年後には僕はいない

なぜ100年前なのか
なぜ100年後なのか

100年前には自身の先祖が確実にいたからこそ
今の自分がいるわけだし
100年後に自分がいなくとも
確実にとは言えないまでも
自分を受け継いだ者が生きているだろうし
なんだか妙に孤独を作り出しているように
思える