住宅街の喫茶店

 渡月橋から1㎞ほど北へのぼると、診療所のある嵯峨(さが)の町へいたる。嵯峨というのは山々という意味なのだそうだ。嵯峨の町には古くから数軒の喫茶店がある。

 このヤマモト珈琲店がそのひとつだ。昼休みに時々、コーヒーを飲みに行く。
はるか昔本郷(ほんごう)にある東大の学生だった頃、法学部教授だった平野竜一先生が正門前の喫茶店に午後になると決まって向かう姿が見えた。きっと論文執筆の合間の憩いの時間だったのだろう。

 そんな思い出を思い返しながら、コーヒーカップを手にとる。しかし平野教授とちがって学問的な思索はちっともわいてこない。

 学生運動の運動家が平野先生の講義の始る前、教壇からマイクで演説をぶっていた日があった。どきなさいと制することもせず、平野教授は運動家学生の演説が終わるのを待っていた。その態度が紳士的であることを今わかるようになったのが、はるかな時間をへて私なりの成熟なのだろう。