盲亀の浮木

 朝早く起きて、小倉池までデジカメを片手に散歩に向かった。
案の定、エサを与えに来ている人、大きなカメラを構えた人など、早朝にしては人出が多い。標高100メートルあるかないかの低山の東面に小倉池はある。小学校のプールほどの大きさで、底も浅い。濁り水の中に、鯉、カメが生息している。

 エサが投げられると、鯉と亀がいっしょになって、群がる。投げ与えている人に「おはようございます」と言ってから、カメラを構えた。

 盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)というお話がある。お釈迦さまが説いたお話だそうだ。

 広い海に漂う、一匹の亀がいた。目が見えず、波のまにまに泳いでいた。また海の別のところでは、一本の流木が浮かんでいた。波に洗われていつのまにか、その一部に穴があいていた。ある日、カメと流木とが出会った。亀は流木の穴の中に自らの首をつっこもうとする。けれども、思うように首を浮木の穴にはさしこめない。

 あまりにも広い海のなかで、亀と浮木が出会う機会はめったにあるものではない。同じように、人がこの世に生を受けることはまれなことで、めったにあることではない。
それほどに生きていることはただそれだけで価値のあることなのだ。
こういうお話だ。