ひそやかなネコの語らい(平成25年9月29日)

バラをいけた花びん。

オレンジ色のやや小さめの花びら。

ネコどうしがひそやかに語り合う。

「きのうが誕生日だったんだね」

「誰のだろう?」

「私たちのことじゃない」

「9月うまれだもの」

日曜日の昼下がり、

あたたかな陽射しをあびながら、

ネコはふたたび、まどろむのだった。

すいふよう(平成25年9月28日)

真夏の花なのに、今年は咲かなかった。

ふしぎに思っていたら、9月も半ばをすぎてから

思い出したように咲き始めた。

遅刻すまいと懸命に走る中学生のように。

朝、はなびらは真っ白。

ふちから少しずつ色が変わり、

夕方、ピンクに染まっている。

すいは酔。酔いのまわった顔の

ようなはなびらの色。

暗くなるとはなびらは閉じて

まんまるの座布団のようになる。

そして落下,落下、また落花。

たった一日だけの花のいのち。

深夜、見に行った。

さやから白いはなびらが

のぞきかける。

早朝、再び見に行った。

風にゆられて、蝶の羽のように。

花のいのちは短くて。

 

 

雲は流るる(平成25年9月28日)

夕暮れが早くなった。

午後6時。外は真っ暗。

秋分がすぎたのだから、

日暮れは早く、日の出は遅くなっていく。

西脇順三郎の詩を思い出した。

(覆された宝石)のような朝

何人か戸口にて誰かとささやく

それは神の生誕の日

現代の何人かは戸口で別のことをささやく

秋から冬へ

空は底がないほどに澄みわたる

これほど美しい季節はない

 

 

いちじくの実(平成25年9月28日)

いちじくはどこから来たのだろう。

干しいちじくを買うとトルコ産が多い。

だからトルコ。

トルコのイチジクはどこから来たのだろう。

アフリカではチンパンジーがいちじくの木に

よじ登り、実を食べる。

だからアフリカ。

丈が高く、葉の形が大きく、

アフリカのいちじくの木は大木になる。

チンパンジーの一群れが登っても、傾きもしない。

そして完全栄養。

もしかしたら、バナナよりもはるかに栄養になる。

季節の食べ物として、

晩夏から初秋のくだものとして、食べれられるのは

もったいない気がする。

干しいちじくを食べる習慣が定着していないからだろう。

ああ、いちじくの畑の真ん中で暮らしたい。

白秋はカラマツの歌を歌った。

カラマツの林をすぎて

カラマツをしみじみと見き

からまつはさびしかりけり

旅ゆくはさびしかりけり

いちじく畑を歌ってみたくなった。

いちじくの畑をすぎて

いちじくをしみじみと見き

いちじくはおいしかりけり

旅ゆくは実を食糧とし

葉を枕にせん

 

アシナガバチの冒険(平成25年9月1日)

地域ネコがときおり、ふらっと立ち寄るので、

あるとき、煮干しを金属製の皿にのせておいた。

小さなサカナが乾燥して、からからになったものを

ネコは好むようだ。

しばらくして皿に目をやると、すっかり煮干しは

なくなっていた。

煮干しの皮が皿に残っていて、アシナガバチが飛んできた。

しばらく皿の上を旋回して、降りてきたかと思うと、

煮干しの皮を口にくわえて、飛び上がろうとした。

ところが、皮が重たすぎるようで、皿の上10センチ

までしか飛び上がれない。

そこで、もう一度、皿に降りて、

もっと小さい皮を口にくわえた。今度は軽々と

飛び上がり、どこかへ消えて行った。

えさにするのか、それとも巣を作る材料にするのか。

帰り道はしっかりと記憶していて、迷いもせずに

飛んで行ったのだろう。

砂糖粒のひとつよりも小さな脳なのに、

なんと優秀なのだろう。

立秋近づく(平成25年8月5日)

月日の過ぎるのの、早いこと、早いこと。

立秋になったら涼しくなる。こう思って

暑さに耐えてきた。もう1か月以上も。

字をさかさまにすれば、秋立つ。

秋が始まる。

セミも、トンボも、秋が始まる前に

夏の歌を歌って、歌いつくそうとしている。

この暑さは苦しい。でも時はとまってほしい。

何もかも、何もかも、きょうとあしたが同じで

あってほしい。

サイレント サマー(平成25年6月30日)

6月のあいだ、ずっと、夜は静けさに包まれていた。

一昨年までは水をはった田んぼに、カエルが

すみついて、夜になると、ないていた。

その声を聞きながら、眠りに落ちていた。

あのカエルはどこにいったのだろう。

物音のしない夏の

さびしさをかみしめた。

真夜中の喫茶店(平成25年6月30日)

夜になって昼間の暑さが去り、涼しくなった。夜が更けて

さらに気温が下がってきた。肌寒いほどだ。

明日から開店する喫茶店の店内を見に行った。

コーヒーカップやガラスのコップ、お盆、湯を注ぐ細口ポットが

整然と棚に並べられている。何とも言えない調和と秩序が

あって、明日、どんな客がこの店に現れるのだろうかと

想像をかきたてられた。しかし、

地域ネコがたいくつそうに入り口にねそべって、

客は誰も来ないかもしれない。

喫茶店の奥は父の居室になっていて、

キャビンと呼んだ方がいいくらいの狭さだ。

2か月の入院生活を終えて、明日、退院することになった。

足はなえて、歩くのもままならないけれど、家が

いいと父は言う。

カレンダーは5月のままだったので、2枚を

めくった。紙の破れる音が思っていたよりも

大きく、室内に響いた。