たくさんのアジサイを見た。街路樹の根元に植えられたアジサイやあちらこちらの庭に植えられたアジサイ。ふつうの水色のほかに、白い花もたくさん見た。誰かが「きれいなガクブチアジサイ!」と大きな声をあげたのを聞いた。
ガクブチアジサイではなくて、ガクアジサイのことでした。とても楽しい言い間違いだった。
7月のウグイス 8月のクジラ
8月のクジラという題の映画があった。クジラの季節は冬とかってに思いこんでいた。
そのため、8月とクジラとが結びつかず、いぶかしく思っていた。
この頃、ウグイスの鳴き声を毎日聞く。繁殖期なのだろうか?
梅にウグイスと言われるように1月の鳥だとばかり思いこんでいた。
今年は3月頃から今にいたるまで、ずっと聞いている。
盲亀の浮木

朝早く起きて、小倉池までデジカメを片手に散歩に向かった。
案の定、エサを与えに来ている人、大きなカメラを構えた人など、早朝にしては人出が多い。標高100メートルあるかないかの低山の東面に小倉池はある。小学校のプールほどの大きさで、底も浅い。濁り水の中に、鯉、カメが生息している。
エサが投げられると、鯉と亀がいっしょになって、群がる。投げ与えている人に「おはようございます」と言ってから、カメラを構えた。
盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)というお話がある。お釈迦さまが説いたお話だそうだ。
広い海に漂う、一匹の亀がいた。目が見えず、波のまにまに泳いでいた。また海の別のところでは、一本の流木が浮かんでいた。波に洗われていつのまにか、その一部に穴があいていた。ある日、カメと流木とが出会った。亀は流木の穴の中に自らの首をつっこもうとする。けれども、思うように首を浮木の穴にはさしこめない。
あまりにも広い海のなかで、亀と浮木が出会う機会はめったにあるものではない。同じように、人がこの世に生を受けることはまれなことで、めったにあることではない。
それほどに生きていることはただそれだけで価値のあることなのだ。
こういうお話だ。
船旅のころの時差解消法(平成24年2月29日)

この冬は雪が多い。夜中にふって、昼間にはとける。つもらない。朝に雪道を自転車で走るとわだちがくっきりと残る。
太平洋航路の時代、船で行くと14日間。時差は14時間。そこで毎朝1時間ずつ起きる時間を遅くして調節した。帰りはその反対に毎朝1時間ずつ起きる時間を早くする。朝起きの苦手な人は、この船旅時差解消法を応用してみたらうまくいくかもしれない。毎日15分ずつ早起きするというように。
こどもの起こし方(平成24年2月29日)

2月の半ば、歩いていたら、桜を見つけた。もう花をつけている。植物にくわしい人にきいてみた。年中いつでも花を咲かせる桜があるのですよと教えてもらった。
春が来ているわけではなかった。残念!
こどもの朝の起こし方には決まったやり方があるわけではなさそうだ。これがよさそうというアイデアがあるので、書いてみたい。
「○○ちゃん、今、午前□時□分です」
このように時を知らせるのが効果的だと思う。
たとえばこんなふうに言ったらどうなるか?
「○○ちゃん、起きなさい」
言い方にもよるけれど、反発するこどももいるかもしれない。
淡雪の朝

なんという名前なんだろう。散歩中に見つけた赤い実ととけ残る雪。
土曜日なので校庭に雪だるまを作るこどもらの姿は見えない。足あと一つない一面の雪の広がりはクリームチーズケーキのように見えた。
横断歩道

いつもの通勤の通り道。信号機のある横断歩道が1か所ある。横断歩道といっても、10メートル幅もないような短い横断歩道だ。周囲を見渡して、赤信号でも歩いていく人が多い。そうしたいと思うこともあるけれど、青に変わるのを待つのを習慣にしている。待ち時間は大して長くはないから。
去年の秋の出来事。朝の通勤のとき、信号が青に変わるのを待っていると偶然知り合いに会った。その人も青に変わるのを待っていた。30年ぶりのことだった。
赤でも渡る習慣にしていればこれは起きなかったはずだ。よい思い出のある人だったので、1分ほどの待ち時間が偶然に遭遇させてくれたのだとうれしい気持ちになった。
帰り道にまた思った。あんまり再会したいとは思わない人がいたとして、その人に偶然に信号待ちで会ったとしたら、どんな気持ちになるのだろう。
水仙

昨夜から雨が続く。小雨になったり強雨になったりしながら。
水仙はもう倒れているかもしれない。
寒さに耐えて

珍しくかぜをひいてしまった。せきは出るし、体がだるい。頭はぼんやり。気力がなんとなくいつもよりなくなっている。それなのに食欲だけはふだんと変わらない。りんごがおいしい。しみじみとおいしい。
雪をかぶった嵐山

夜中に雪が降った。朝、嵐山をうっすらと白く染めていた。日が昇るとあっけなく融けていく。寒さが頂点へ向かって増していく。寒さに体がなれるのは数日遅れだ。その頃にはさらに寒さが強まっていくのだ。