トロッコ列車

 毎年12月末から2月末まで嵯峨にあるトロッコ列車は休みだ。きっと全国にあるあちらこちらのトロッコ列車も同じ運休だろう。3月とともに運転が再開されると訪れる観光客も増える。
 今はまだ運休中で蒸気機関車を柵の外から写した。英語ではlocomotive trainと言う。 Locomotiveは運動するという意味だ。ちょうど蒸気機関車の動輪4個が一本の軸によってまるでひとつの体のように回転する。その動きは力強い。
 きょうは0歳児が予防接種に訪れた。というよりも母親に抱かれて連れられてきた。さあ今から注射をというときになって、腕を動かしてじっとしてくれなかった。その腕の動きが蒸気機関車の動輪のように見えた。というよりも蒸気機関車の動輪の動きは赤ちゃんの腕の動きそっくりだった。

のりとはさみ

英語になりにくい日本語がある。のり。はさみ。冷蔵庫。蚊。懐中電灯。家。そうかと思えば英語になりやすい日本語がある。キッチン、トイレ。
  のりを英語で何と言うか。ペースト(paste)なんだそうだ。
  はさみはシザーズ(scissors)と言われる。 日本語でペーストというと食べ物を連想する。シザーズは誰も言わないだろう。 のりとはさみは幼児の頃から使っていたなつかしい文房具である。そして今もときどき使うし、これからも使うだろう。

雪景色

 京都の嵯峨に落柿舎はある。松尾芭蕉の弟子の去来という人の住まいと伝えられている。元々は2キロほど南の桂川べりに建っていた。川の増水があれば浸水していまうのを避けるために内陸部に移転した。移転した先が現在地だ。三畳、四畳半、台所、風呂、便所。こじんまりとまとまっていて、持ち物の少ない江戸の俳句師にはぴったりの住まいであっただろう。
 今の感覚で言えば狭い住まいだけれども、家の周囲には庭や植え込みがある。そのため家全体としては決して狭い印象を受けない。
 1月24日から毎朝雪がふった。落柿舎のかやぶき屋根に雪がふりつもった。昼間には日が照ればあとかたもなく融けてしまうのだった。

朝霧

 年末になった。冬らしい寒さが続く。空は青く晴れて、朝霧が川にかかった。霧が立ち込めた川面もすぐに元通りに戻る。JR山陽本線に朝霧駅がある。明石駅のひとつ東側の駅だ。海辺なのでどこに霧が立つのかわからないけれど。

赤と緑と

 赤と緑は植物にとっては近い色だ。カエデは緑から赤に変わる。緑の葉も開き始めのときは赤い色をしているので、赤から緑へ、そして緑から赤へと変化していく。

朝の杉

 木には樹形といって、木の形がある。当たり前だけれど。あらためて樹形を見るようになった。桜やカエデは自由形というか、その木、その木のかっこうをしている。反対に杉はほとんど皆、同じような先のとがった形をしている。雨傘みたいといえばいいだろうか。左右が対象になっているので、美しい。クリスマスツリーに使われるもみの木も同じ形をしている。
 空を背景にした時、杉はとても美しい。

紅葉の向こうの朝日

 寒さ予報の出た朝だったけれど、風もなく、カエデの枝も葉も揺れずに、朝日が昇っていく。逆光で暗くなってしまった。実際はもっと明るい景色だった。嵐山観光の頂点がようやく過ぎていく。山に静けさが戻るまであとしばらくの時間がある。

会話の基本はイエスバット

 会話の基本はしりとりである。小学生がする尻取りが大人の会話の基本になる。イエスとまず受けて、その後、バットと続ける。確かにとまず受けて、しかしと続ける。
「それはそうだけど、こうなんじゃないの」
「きみがそう思うのは一理あるけれど、僕はこうおもんだけどなあ」
このような尻取りの流れがあれば、会話は円滑に進む。円滑にというのはお互いの心をぐさりと射すことなくという意味だ。
 尻取りをせずに、いきなりバットで始めるとたいてい話はこじれてしまう。

酪とラクト

 酪と書いて「らく」と読む。意味は牛乳のことだ。酪農と言えば、乳牛を飼っている農家のことである。他方、英語圏では牛乳はミルクの他に、ラクトとも言う。Lacto と書く。
ここで気づくことがある。漢字圏の酪と英語圏のラクトとが元々は同じ根っこの言葉だったんだと。もっともっと世界が素朴だったころ、牛乳をらくといい、またラクトと言っていたわけだ。
  今、牛乳と言い慣わしているのは、いつの頃からか、酪という言葉がすたれて、描写しただけの言葉として牛乳と言い始めたからだろうか。調べて見えて知ったのは、酪とは仏教でいう五味のひとつだそうだ。