しあわせの切り取り

 お産の立会いをした。
産道をゆっくりと降りてくる。回転しながら。ワインのコルクを抜くとき、回しながら抜くとうまく抜ける。胎児が降りてくるときも同じように、体を回転させながら、産道を通り抜ける。

 全身が現われて、うぶ声をあげたとき、部屋中が喜びに包まれた。
産み終えた女性やその夫、第一子の顔にうれしさが広がる。そのうれしさはすぐさま、手伝う者たちに伝染する。共感がおきる。抱っこされていたはずの第一子が抱かれていた腕から床にすべり落ちてしまった。笑いがおきる。

 こういう時だ、「世界は美しい!」と感じるのは。見慣れているはずの医院のスタッフの顔がすばらしく美しいと感じる。

世界はたしかに美しい。写真や絵画にふちがあるように、世界の一部を切り取るからこそ、美しいと感じられる。

 医院の外には幹線道路が走る。そこをおびただしい乗用車、バス、バイクが走りぬける。車道の両脇には、商店、飲食店、遊興施設がひしめく。世界は美しいなど言って歩道をあるいていると、走る自転車にぶつけられてしまいそうだ。

 そう。医院の中の分娩室の中だけが、その短い時間だけ、幸福に包まれたのだった。