カレンダー(2024年10月13日)

10月になると、カレンダーが売り出される。
まだ10月なのに、もう、来年のカレンダーを
買わなくてはならない。
 2025年が来てほしいという気持ちと
まだまだ来なくてもいいという気持ちとが
入り混じる。

夏のフルーツ(2024年8月18日)

この頃、果物と言うより、フルーツと言うようになってきた。
今年の夏、気に入ったフルーツは、プラム。
あまり大きくないので、一度に食べてしまえるのがいい。
それに味もいい。
桃と似ている。
桃は、大きいので、1個だと持て余してしまう。
季節ものだから、いつまで売っているのだろうか。

『手袋を買いに』(2024年5月20日)

初雪のふった朝
子ぎつねは寒さに手がかじかんだ
母きつねが温めても、冷たいまま。
手袋を買ってやらなくては、母きつねは決心した
人間の住む町へ、子ぎつねを行かせた
人間はこわいんだよ、捕まられたら帰れなくなるよ
子ぎつねに言い含めた

お金を握りしめた子ぎつねは町へ向かった
手袋屋さんは、ちょうど手にあう大きさのものを
選んだ

ぶじに帰ってきた子ぎつねを抱きしめ
母きつねはうれしくて、目に涙をうかべた

繭という字(2024年5月19日)

中学校の国語の授業。
繭という字を習った。
ある生徒が言う。
「こんな漢字を覚えても、無駄です。
 使うことなんてないです」
先生は
「将来、繭子さんという女性と知り合うかもしれないよ。
 そのとき、漢字を僕は書けます、と言えるとカッコ良くないか」

あれから何十年も、過ぎて
繭子という名まえの人に、まだ出会ったことがない

昭和(2,024年5月18日)

この頃、昭和の評判がよくないようだ
「それって、昭和だね」
なんて、バカにした言い方を耳にする

まあ気にすることはない
けれど
昭和はいい時代だった
ずばり給料の水準は、現在の2倍だった気がする

生きがいのそばで(2024年5月16日)

遠くから知人の詩人がやってきて
こんな詩を書いたから、見てくれと
言う。

生きがいに近づいてはいけないよ
なぜなら
それは灼熱だから

生きがいに近づいてはならないよ
なぜなら
それは深淵だから

生きがいのそばに
ただ居るだけでいいのだよ

どれどれ

「手袋を買いに」(2024年5月15日)

「手袋を買いに」を久しぶりに読んだ
小学校2年生の国語の教科書に収められている。

初雪のふった朝
子きつねは、雪を初めて知る
その冷たさ
雪ふる日のまばゆさ

母さんきつねは子ぎつねに、
手袋を買ってやりたいと思う

子ぎつねは町へ自分だけで行く
夜なのに町の明かりに子ぎつねは驚く

手袋屋さんで、ぶじに、買えたのだろうか