昭和20年1月3日に始まり
8月15日直前まで8か月にわたり
阪神間は計128回の空襲に耐え抜いた
神戸西部は焼失家屋15万
死者8841名 負傷者15万
わが母の家は全焼家屋の一つであった
生きていただけまし
としか言いようのない惨状であった
「家が燃えるほど悲しいことはない」
何度も繰り返し聞かされた母の言葉であった
3月17日絨毯爆撃の夜
遠く京都高射砲部隊により
B29アシッドテスト1機が撃墜された
昭和20年1月3日に始まり
8月15日直前まで8か月にわたり
阪神間は計128回の空襲に耐え抜いた
神戸西部は焼失家屋15万
死者8841名 負傷者15万
わが母の家は全焼家屋の一つであった
生きていただけまし
としか言いようのない惨状であった
「家が燃えるほど悲しいことはない」
何度も繰り返し聞かされた母の言葉であった
3月17日絨毯爆撃の夜
遠く京都高射砲部隊により
B29アシッドテスト1機が撃墜された