雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ

宮沢賢治のあまりにも有名な詩。いつも読み流し、あるいは聞き流していたのだが、にわかに気になり始めた。雨にも負けず風にも負けずとは、いったいどういうことなんだろう。人間であれば、雨の日にはかさをさす、風の日には外出しないなど、対策はあるわけで、雨風に勝つだの負けるだの考えはしないはずだ。とすると、これは農作物、たとえば、稲や小麦のことを歌ったものにちがいない。田畑に植えられた稲、麦、野菜はその場所で風雨に耐えて育ち、実る時をひたすら待つ。そういう農作物のあり方に敬意をこめた歌ではないだろうか。言い換えれば、この詩は収穫祈願の歌である、というのが私の発見である。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
と続くのだが、これは農作物を人と見立てて、描写したものと考えると納得がいく。ここから先は想像力がそれ自体の力ではばたく。いずれにしても賢治は農作物と自分を同一視していたようだ。
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ