ステンドグラスのあるクリニック

 今年の3月、京都の西端、嵯峨嵐山にクリニックを作った。たまたま空いていた2階建ての店舗を借りることができて、内装を整えた。産婦人科と精神科の、外来だけの小さなものだ。協力してくれる人が何人かいて、開設に向けて作業は順調に進んだ。けれども万事順調というわけにはいかなくて、日々、いくつかスタッフの意見調整がつかないことが出現した。その中で一番大きなテーマとなったのは、同じ時間内に産婦人科の外来利用者と精神科の外来利用者が同じ待合室で待つことだった。待合室も1室、診察室も1室、診察する医師は同じ人、というのではたしてうまくいくのだろうか。こういう疑問があるスタッフから投げかけられた。

 私の持論としては時間帯をわけることは考えもしなかったのだが、結局は、診察時間帯を区別することで、つまり、産婦人科の時間と精神科の時間をわけることにした。その理由は、わけてあることに不満の声は出ないだろうと、考えたからだ。
 その次に話し合いがまとまらなかったのが、窓にステンドグラスを入れるかどうかだった。昼間は車の交通量が多いけれど、夜になると、急激に減り、人通りも少なくなる道にクリニックは面している。進路を北にとると、やがて化野の念仏寺へと向かい、暗さの度合いがいちだんと増してくる。そんな道だから、室内の明かりがステンドグラスをとおしてもれると、道行く人がほっとするのではないだろうか。そしてクリニックをおぼえてくれるのではないかしら。
  そんなことを考えた。けれども、見積もりをきけば、その費用は高額で、やっぱり芸術作品なんだなと思わざるを得なかった。はたしてクリニックの財布で買うことができるものやら、思案することになった。
 自分自身を世に問うこと。そういう機会は求めなければ得られない。求めるのか、求めないのか。うまくいくのか、いかないのか。灰色の世界が広がっているように思える。何度も考えたことだけれど、すでに船は陸を離れている。

家庭出産を支えあうネットワーク「私らしいお産を考える会」NEWS LETTER 2004年4月号より転載