木を植えたことのある人

『木を植えた人』という物語がある。来る日も来る日もどんぐりをまく。やがて、森になった。簡単に言うとこのようなストーリーである。お話なので、あまりとやかく言うのは気が引けるのだが、 本当に木を植えることはそういうことではない。

  昔々のこと。遠い国に住んでいた頃、木を植えたことがある。直径100センチ、深さ100センチの穴を掘る。穴堀に4時間ほどかかる。肥料を底にまいて、幼い木を真ん中に置く。そうしておいて、木が傾かないように、周囲を土で埋めていく。掘り返した土を元通りに戻すわけである。ここまでやり遂げるのにまた4時間。

  一日に1本を植えるのがやっとだった。植えた木が土着するかどうかはまた別の話で、根付かずに枯れてしまう木もある。

  自分で木を植えてみて、つくづく思うことがあった。たとえば公園、庭園、街路などに植えられている木。それはみな、誰かが植えたのだということ。同じように穴堀に数時間、埋め戻しに数時間をかけて。少なくとも、町にある木でただどんぐりをまいただけの木は一本もない。山にある木ですら、人手がかけられたものが多い。昭和20年以前の日本で、町に近い山の木は有効利用された。つまり燃料用に切り取られた。そして禿山が残された。

昭和20年8月15日から後、営々と木を植えていったのだ。

  国敗れて山河あり。と昔の人は歌った。しかし、私たちの国は、昭和20年夏、山にも町にも、木という木は失われていたのだった。