あじさいが過ぎていく(平成24年6月28日)

たくさんのアジサイを見た。街路樹の根元に植えられたアジサイやあちらこちらの庭に植えられたアジサイ。ふつうの水色のほかに、白い花もたくさん見た。誰かが「きれいなガクブチアジサイ!」と大きな声をあげたのを聞いた。
ガクブチアジサイではなくて、ガクアジサイのことでした。とても楽しい言い間違いだった。

7月のウグイス 8月のクジラ

 8月のクジラという題の映画があった。クジラの季節は冬とかってに思いこんでいた。
そのため、8月とクジラとが結びつかず、いぶかしく思っていた。
この頃、ウグイスの鳴き声を毎日聞く。繁殖期なのだろうか?

 梅にウグイスと言われるように1月の鳥だとばかり思いこんでいた。
今年は3月頃から今にいたるまで、ずっと聞いている。

盲亀の浮木

 朝早く起きて、小倉池までデジカメを片手に散歩に向かった。
案の定、エサを与えに来ている人、大きなカメラを構えた人など、早朝にしては人出が多い。標高100メートルあるかないかの低山の東面に小倉池はある。小学校のプールほどの大きさで、底も浅い。濁り水の中に、鯉、カメが生息している。

 エサが投げられると、鯉と亀がいっしょになって、群がる。投げ与えている人に「おはようございます」と言ってから、カメラを構えた。

 盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)というお話がある。お釈迦さまが説いたお話だそうだ。

 広い海に漂う、一匹の亀がいた。目が見えず、波のまにまに泳いでいた。また海の別のところでは、一本の流木が浮かんでいた。波に洗われていつのまにか、その一部に穴があいていた。ある日、カメと流木とが出会った。亀は流木の穴の中に自らの首をつっこもうとする。けれども、思うように首を浮木の穴にはさしこめない。

 あまりにも広い海のなかで、亀と浮木が出会う機会はめったにあるものではない。同じように、人がこの世に生を受けることはまれなことで、めったにあることではない。
それほどに生きていることはただそれだけで価値のあることなのだ。
こういうお話だ。