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春爛漫とはこんな日のことなんだ
しみじみ思う
そんな土曜の昼下がり
少年野球のコーチをつとめる男は
息子の動きを目で追った
もうすぐ10歳になる男の子は
格別うまくはないが
上手になりたい意欲を
父親はかっていた
空振りして打席を離れる息子の
気持ちが身振りから読み取れた
風がコーチの帽子をさらおうとしたとき
自分が死んだら息子が
どれほど悲しむことか
そんな考えに襲われた
春爛漫の日に
自分は
なんてことを思うのだろう
息子のために
息子のためだけに
自分は生き延びなければならないと
帽子をかぶりなおしながら
男は思うのだった
願わくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ
花を見て西行もまた
死を思ったのだろう
息子をもつ自分は彼よりも
ずっと恵まれている
青空と
野球少年たちの白いユニフォームが
対比をなす
そんな風景の中に
男はとけこんでいった
1年1組の級長に当てられるので
誰が1番合格かわかるのであった
200名に足りないわずかの人数の間だけなのだが
生涯語られる伝説の人物となる
私の学年の栄光の人は口数少なく、優秀で、勤勉で
学問好きでそしてミステリー小説好き
尊敬と憧れの的であった
少しでも彼に近づけるよう
怠りがちな私も自分を奮い立たせたのだった
急に春めいた日に
恩師は息をひきとった
中学1年から高校3年生まで
数学を教えてくれた人である
中学生になり
4月のなまあたたかい季節なのに
長ズボン、詰襟、丸刈り、電車通学へと
拘束としかいえない日々が始まった
半ズボン、ランドセル、給食が懐かしく
帰宅すると
昼間の疲れがどっと出るのであった
迎えた初めての数学の試験
最下位の点数
昼に弁当を食べていると
職員室に呼び出された
これから因数分解が始まり
もっとむずかしくなる
しかし今ならまだ間に合う
こういって叱られた
教室にもどり残りの弁当を前にして
涙が流れて食べられなくなった
その日から明けても暮れても
数学の日々が始まった
叱られたのではない
叱ってくれたのだ
叱ってくれたのではない
励ましてくれたのだ
今の自分には恩師の気持ちがわかる
夢まくらにフロイトが立ち
こうのたまった
一見無関係に見えることがある
しかしすべてのことはつながっている
どんなことにも細心の注意を払って
行なうように
その朝
空気の減った自転車のタイヤに
空気をいれながら
はるか遠くにいる人々の顔が
思い出された
さびしい風景が好きだ
その中にたたずむさびしい自分
しゃがみこみ
立ち尽くし
また
しゃがみこんでいると
いつしか調和が訪れて
寂しさはもうどこにもない
人と人とは
二言三言
あるいは
四言五言と
大切なことが凝縮された
言葉を交わせば通じる
それが会話というものだ
言葉がいらないとは
こういうことだ
映画のなかの俳優を見てごらん
彼らの会話はいつも短い
午後3時
小学3年生の下校時間である
にぎやかに歩道を練り歩く
オレ路チューしたいなー
ヘンターイ
いっときのざわめきが潮のように引き
ふたたび街路は静まった
路チューする人
しない人
路駐する人
しない人
みんなちがってみんないい
はずなのだが
見ていると胸が熱くなる
そんな路チューを
してほしいものだ
高校近くのパン屋さん
昼になると制服姿で買いに来る
若い食欲が弾けんばかりだ
クロワッサンに
カレーパン
ツナサンドに
焼きそばパン
店を切り盛りしているのは若夫婦
自前の店舗を持とうと懸命に働く
⑴才になるこどもがいて
歩き始めたばかり
高校生がまばゆく見える
うちの子があんなに育ってくれるか?
なかに1人
憂い顔の女子生徒
そのむすめはいつも
カレーパンを買っていた
父親がカレーパンを好きだから
思い出すのだ
父親は今病気で入院している
週に一度会いに行く
その日を待っているのだった