診療所のあるあたりは嵯峨と呼ばれている。嵯峨という言葉は、「嵯」も「峨」も、鋭い山という意味なのだそうだ。たしかに、京都市の西方のこのあたり、丘陵が連なっている。いずれの山も樹木でおおわれている。もし樹木がなければ、鹿の住む奈良公園のようになるのかもしれない。鹿ではなくて、イノシシが棲息しているようだ。
1週間の終わり、土曜日の夕方になると、本当に1週間が終わったなあと感慨が深いものがある。日没が少し早くなった。写真よりは空の青みが強いのだけれども、機械の限界である。
診療所のあるあたりは嵯峨と呼ばれている。嵯峨という言葉は、「嵯」も「峨」も、鋭い山という意味なのだそうだ。たしかに、京都市の西方のこのあたり、丘陵が連なっている。いずれの山も樹木でおおわれている。もし樹木がなければ、鹿の住む奈良公園のようになるのかもしれない。鹿ではなくて、イノシシが棲息しているようだ。
1週間の終わり、土曜日の夕方になると、本当に1週間が終わったなあと感慨が深いものがある。日没が少し早くなった。写真よりは空の青みが強いのだけれども、機械の限界である。
お産の立会いをした。
産道をゆっくりと降りてくる。回転しながら。ワインのコルクを抜くとき、回しながら抜くとうまく抜ける。胎児が降りてくるときも同じように、体を回転させながら、産道を通り抜ける。
全身が現われて、うぶ声をあげたとき、部屋中が喜びに包まれた。
産み終えた女性やその夫、第一子の顔にうれしさが広がる。そのうれしさはすぐさま、手伝う者たちに伝染する。共感がおきる。抱っこされていたはずの第一子が抱かれていた腕から床にすべり落ちてしまった。笑いがおきる。
こういう時だ、「世界は美しい!」と感じるのは。見慣れているはずの医院のスタッフの顔がすばらしく美しいと感じる。
世界はたしかに美しい。写真や絵画にふちがあるように、世界の一部を切り取るからこそ、美しいと感じられる。
医院の外には幹線道路が走る。そこをおびただしい乗用車、バス、バイクが走りぬける。車道の両脇には、商店、飲食店、遊興施設がひしめく。世界は美しいなど言って歩道をあるいていると、走る自転車にぶつけられてしまいそうだ。
そう。医院の中の分娩室の中だけが、その短い時間だけ、幸福に包まれたのだった。
この頃、毎日、最高気温は37度を上回る。体温よりも暑い。古いことを言ってしまうけれども、40年前にはこんなに暑くなかった。神戸にいたころのことだ。
海辺の町は内陸の町よりもすずしいのかもしれない。
シェイクスピアの『真夏の夜の夢』は、真夏の話だと思われている。けれども実際には真夏とは夏至のことなのだそうだ。夏至から約1か月が過ぎた。今、ほんとうの真夏が来た。
水田のそばを歩いていたら、白い鳥を見つけた。10羽ほどが一枚の水田に降り立っていた。きっと餌を探しているのだろう。そのうち、2羽がダンスを踊り始めた。すぐに辞めてしまった。
鳥の名はわからないままである。
今日は日曜日だ。3連休の人たちにとってはちょうど真ん中になる。
竹の筒に入った水ようかんを食べた。写真右側にある節の真ん中を押しピンで突いて穴をあける。左側の葉を取り払うと、中身が見える。節の方を上に、筒の断面を下にすると、ようかんがするすると下りてきた。
なぜ、水ようかんというのだろう?
食べていると、急に疑問がわいてくる。たた食べていればいいのに。
あっさりとした甘さがおいしく感じられた。
昔から夏休みは7月20日始まりと決まっていた。暑さの頂点に達する日だと知られていたのだろうか? ちょうどいい日を選んだものだと思う。
学校を終えて、夏休みのない暮らしになって長くなった。もう一か月もある夏休みをほしいとは思わない。けれども、たとえ1週間でもあれば、どうやってすごすだろう? 海辺で波を見ているのと、高原で空を見ているのと、どちらを選ぶだろう?
ちょうど40年も前のこと、宵山見物に出かけた。そのころはまだ路面電車が走っていた。山鉾を通すために、祭りの間だけ、架線をとりはずすのだった。架線の取り払われた空間を動いていく山鉾の姿を眺めていた。
今は路面電車はなくなった。とりはずす架線もなくなった。昔と同じ空間に山鉾はたたずんでいる。
写真をとりに行こうかと思った。今夜はうちにいないとならない用事があった。西の空があかね色に染まる、ひさしぶりのきれいな夕焼けを代わりに眺めた。
午後、広沢の池の南岸をクルマで走った。湖面と北岸にそびえる小高い丘陵を写真に収めた。北嵯峨と呼ばれる地区内にある人工池である。鯉が放たれていて、秋になると成長した鯉が網で次々にさらわれる。そして水がぬかれて、湖面の底があらわになる。春になると水で満たされて、鯉が放たれる。こんなめぐりを繰り返す池だ。
平日の午後なので、湖畔には誰もいない。
その2時間後、夕立ちがあり、湖面は激しく雨に打たれた。
もうはや、夏真っ盛りだ。
コーヒー・フロートを作った。買い置きのアイスクリームをガラスコップにとり出し、その上に、買い置きのアイスコーヒーを注ぐ。
食べ始めたとたん、手元が揺れて、アイスクリームのかなりの部分を床にこぼしてしまった。ぞうきんで床をふいた。その間に、アイスクリームがコーヒーにとけかけていた。
今度、作る時には、こぼさないように気をつけよう。
京都新聞の記事に興味深いものがあった。7月11日夕刊の「現代のことば」というコラムだ。立命館大学教授で、美学芸術学の神林恒道(かんばやし・つねみち)氏が書かれている。
美術館の入場者の数がこのところ、減少している。どんな対策が望まれるか? 小・中・高の生徒には、美術の実技のほか、鑑賞することを教育してみよう。こういった内容である。
私は美術鑑賞はけっこうまめにしてきた方だ。実技はさっぱりだけれど。
高校世界史の本を読むと、各時代のいちばん最後はいつも美術史で、写真付きだった。「ミロのビーナス」だって、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」だって、「モナリザ」だって、小さな小さなサイズの写真だった。
そんな教科書の写真鑑賞から始まって、美術館鑑賞へと興味が発展した。
今思うことがある。日本の名画といわれるものが見られるインターネット美術館を作ることだ。各地の美術館や美術大学に集められていて、ときどき、公開される絵画や彫刻がある。それらをいつでも見られるのなら、なんとすばらしいだろう。
文章とちがって、複製しようがないから、著作権にもふれないと思うのだが、どうなのだろう?