ときどきはるかに過ぎ去った日々の思い出がよみがえることがある。誰にも同じ経験があることだから、まったく特殊なことではないだろう。けれども、思い出す内容はその人の特有のものであろう。とすると、思い出の内容はたいへん特殊なわけである。
この季節に何度もよみがえる思い出がある。
中学生になったばかりの5月のある日のこと、授業と授業のあいだの休み時間に、二人の男の子がけんかを始めた。理由はわからなかった。二人とも黒板のそばにおいてあった黒板消しを右手にもって、相手の学生服のいたるところをなぐりつけた。黒い学生服のすみずみまでが白くなってしまうまでなぐり合いをしていた。次の授業を知らせるベルが鳴り続けているのにもかまわず、続けた。教室に入ってきた先生にとめられて、やっと上気した顔が静まっていった。
離れた席から私は見物していたのだった。黒と白、そして二人の上気した赤い頬があざやかな記憶になって残った。なぜ忘れ去らないのだろうか?
自分も誰かとあんな喧嘩をしたかったのだろうか?
喧嘩をした彼らの燃え立つような闘争心に嫉妬したのだろうか?
後日談がある。この二人のうちのF君はとても勉強ができる少年だった。しかしその心にまで私は思い至らなかった。作文にはこう書いていた。
「僕は勉強がきらいだ。しかし、勉強はするのだ」と。
嫌いだからしない、という論理を彼は否定していたのだった。好きだからするという論理からも彼はもしかしたら自由だったのかもしれない。まことに少年らしからぬみごとな割り切り方で、私は今もそういうF君を思い出す。