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消灯時間をすぎて暗くなった病室で
輾転反側していると
おなかがすいてきた
パンが食べたいなと思っているうちに
イタリア語でパンはなんというのだろう
とんでもなく思考が脱線を始めた
ベッドを抜け出して
非常階段から病院の屋上にでた
家の方角を探していると
毎朝駅で出会っていた名まえを知らない
女の子を思い出した
退院して家に帰り高校へ通学するようになったら
駅で朝会ったとき初めて話しかけてみよう
おはようと言ってみよう
そんな勇気がわいてくるだろうか
夜景を見ていると悲しくなってきた
この世間には無数の人がいて
無数の生き方をしている
どれが良くてどれが良くないと
言えるものではないのだが
ここに一人健気な少女がいる
年齢は16歳
看護学校にかよう生徒だ
病弱な母親と不登校がちな中1の妹がいて
朝に起きれない母に代わって
妹に弁当を作り学校へ送り出す
自分の弁当は時間を惜しんで作らず
パン屋で買うことにしている
20歳になったら卒業
試験に合格したら晴れて看護師
母を助けて家計をになう日を夢見ている
天のどこかに女神がいるのなら
きっとこの女の子を愛してやまないだろう
明日をも知れぬテキ屋稼業から
どういう風の吹き回しか
精神病院に迷いこんで30年
退院したあとの世間暮らしに
男は背筋が伸びる思いがした
働き盛りを空費したと悔いてはみたが
根っからののんき者
一人暮らしのアパートで気ままを楽しんでいる
かたや
自由になるために懸命に外国語を学ぶ男がいた
節制 修練 禁欲
何もそんなに不自由な生活をしなくてもと
はたの者はかわるがわる忠告するのだったが
これはこれで人の話が聞けぬ頑固者
気ままに生きてきた者と
自由に外国語をあやつる者と
運命の女神はいずれを愛するのだろうか
都会に暮らすある女性には
田舎に老親がいた
85歳の老母は
老父の葬儀の日の早朝
畑へ行き
カボチャの種の
交配をすませた
その日を逃せば
来年まで待たねばならなかったのだ
畑が命
という母の前で
自分には命といえるものがあるのか
通夜のあとの頭では
何も思いつくものはなかった