天気と遊ぶ(平成29年4月29日)

どこまでも広がる青空
一瞬にして日がかげり
 空が黒ずむ
風がわきおこり
雷が鳴り響く
雨が窓をたたく
土を濡らし木を濡らし
花びらを打つ

半時間もたたないうちに
元の青空に戻る
それは見とれるほどの
天気の変化だった
天気と遊んだ思いがした

真夜中の犬の足音(平成29年4月24日)

海がほど近いマンションの一室を
一夜借りして眠りについたころ

台風らしく雨風がふきつのり
開けていた窓から稲光と風雨が襲いかかる
室内には大型犬の足音が音高くひびく
隣室が飼っているハスキー犬が
あまりの天候のこわさに
逃げ込んできたのだった

夜が明けるまで
ハスキー犬と風雨の鎮まるのを
待っていた

あれは君の郷里で
君の別荘マンションを借りた9月の日だった
忘れがたい思い出だよ
こんな話を聞かせたけど
おぼえていてくれたかい?

窓(平成29年4月23日)

踏切の手前の

中高生がかよう学習塾

窓の大半は半透明なのだが
一つだけ
自習室なのだろうか
透明の窓がある
そばを歩くたび
ついつい覗き込むのだが
自習室に人がいるのを見たことがない

本棚にはいわゆる赤本
大学ごとの試験問題集が並べられている

あまりの変わりのなさに
なつかしく郷愁をそそられる

問題集から
大学の建物や講義や学生生活を想像することは
受験生にはできやしないだろう
まして
問題集を解きながら
ある日受験会場へ行き
また別の日
その学校へ通うのを
想像することはむずかしい
遠い世界へ旅立つことを
問題集がうながしているとは
知らないでいる
そんな受験生がいじらしい

谷川俊太郎氏作品の違和感(平成29年4月19日)

初めてその作品に接したのは

高校に通っていた頃

『二十億光年の孤独』という第一詩集だった
なぜ二十億光年なのだろうか?
十億光年でもなく三十億光年でもなく
こんなつまらない疑問がわいてくる
二十億光年と言うしかない必然性のような
ものをくみとれないのだった

そして今また

『朝』という』という作品では

100年前には僕はいなかった
100年後には僕はいない

なぜ100年前なのか
なぜ100年後なのか

100年前には自身の先祖が確実にいたからこそ
今の自分がいるわけだし
100年後に自分がいなくとも
確実にとは言えないまでも
自分を受け継いだ者が生きているだろうし
なんだか妙に孤独を作り出しているように
思える

スマホで見られるHP(平成29年4月19日)

19という数字のせいだろうか

19日は毎月落ち着かない日だ

悪い出来事がきまっておきる日だ

それなのに

今日の19日はとてもいいことがあった

長らくクリニックのHPがスマホではうまく見られなく

なっていたのが解消されたのだ

小さな画面いっぱいに小さなHPが

表示される

丸4年かもっと長かったか

4月19日

忘れないでおこう

 

木の出世(平成29年4月8日)

金木犀

あるいはキンモクセイ

昔は便所のそばに植えられていたものだ

便所が建物の端に作られて

そのそばにあったのだ

そんな作りの便所がなくなり

金木犀の役目もなくなった

流行歌に歌われ

一躍キンモクセイは大出世

香りの愛される木になりとげた

くすぐったいだろう

居心地が悪かろうに

成り上がり者の樹木

ワガシ(平成29年4月8日)

ワガシだって?

和菓子じゃないよ

和樫だよ

垣根に植える木なんだ

格の低い木だ

松が殿様なら

和樫は駕籠かきか

 

秋にはどんぐりが豊饒に実る

春には古くなった葉が落ちる

誰の視界にも入らず

近寄るのはどんぐりを拾うこどもくらいだ

なぜか知らないけれど

ワガシの落とす葉をほうきで掃いていると

春の到来をしみじみ思う

古くなった衣服を脱ぎ去るかのようだ

新しい衣服を身にまとうように

新しい葉が生えてくる

つややかで光を反射し輝いている

ワガシの葉が落ちるとき

ほうきではきながら

しみじみ思うのだ