くわい

写真だと大きく見えるけれども、小ぶりのくわいを三個、机に並べた。
青味がかった色合いで、まるで地球のようだ。正月にしか食べられないのが残念だ。

きょうは大みそか。除夜の鐘をつきに行こうかと迷った。近くの御寺の鐘突き場からは京都市内の夜景がよく見える。その夜景には心ひかれるけれども、寒風をいとう気持ちが勝った。

初雪の嵐山

 寒波が来た。雪を降らせた。嵐山を白く染めた。

 こんな朝に早起きをして左岸を見下ろす丘に登ると、どんな景色が見えるのだろう。

古河の町

12月とは思えないような暖かな日曜日、茨城県古河に用事で出かけた。歴史博物館の前を偶然に横切り、門の写真を写した。

 このような家に現代の人は住むことができるだろうか?

 古河はこがと読むのだけれど、ふるかわと知らないとまちがえそうだ。日光街道の宿場町だったそうだ。利根川と渡良瀬川が合流する地点で、手つかずの景色はとてもきれいだったのだろうと想像してみた。

CG(コンピュータ・グラフイック)なら再現できるかな?

夕焼けの枯れ枝

 冬の夕暮れは早い。
 何気なく枯れ木や枯れ枝と言っているけれど、葉を落としているだけのことだ。枝はしっかりと生きていて、つぎの春が来たら、葉っぱをつける。葉っぱが落ちると、枝ぶりがはっきりとわかる。枝のかっこうは一本、一本、ちがった形をしている。
 遺伝を考えてみるとふしぎだ。枝の形までは遺伝子で決められていないようだ。植わっている土地、土壌に含まれた栄養、風、光に応じて、枝を伸ばしていく。木にもし意志というものがあれば、高く伸びたい木、横に広がりたい木、隣と絡まり合いたい木、ひとりを楽しみたい木、種々だろう。
 比翼の鳥、連理の枝という言葉を思い出した。
白楽天の長恨歌にある詩句で、在天願作比翼鳥、在地願為連理枝が元々の文句である。
天に在っては願わくは比翼の鳥と作(な)らん
地に在っては願わくは連理の枝とならん