冬のダイヤモンド(平成28年1月30日)

吉行淳之介氏が書いた小説の題

『星と月は天の穴』の

時代(1967年)から

はるかな時が過ぎて

星と星座について

知識が容易に得られる現代になった

宇宙には果てがあることを

星の数は有限であることを

吉行氏の時代は知らなかったし

現代人は知っている

 

夏逝き

秋去り

今は冬

冬の夜空を見上げれば

シリウス

カペラ

プロキオン

名まえの響きに耳をそばだて

アルデバラン

リゲル

冬のダイヤモンドが瞬く

最後は

ポルックス

 

天文好きの

男の子と女の子が

語り合うことは何もなく

ただ寄り添って

星の沈黙に同調していた

 

 

 

言葉は魔法だから(平成28年1月29日)

蜘蛛の営みは勤勉そのもの

木の枝と枝のあいだを

往復し幾何学模様の巣を

作り上げる

昆虫や蠅がひっかるのを

日がな一日待ち受ける

蜘蛛の営みは忍耐そのもの

自分が作った巣にひっかかる

そんな蜘蛛はおるまいて

人もまた

言葉を使い自分の巣を作り上げる

巣に反応する誰かを待つのである

待っているだけならいいが

言葉は魔法なので

自分で自分の言葉の巣にひっかかる

そんな輩(やから)が続出する

今日もまた

蜘蛛以下というべきか

蜘蛛以上というべきか

せめて道に迷わぬように

われらは今日もまた祈る者である

言葉はまことにやっかいである

 

さみしさとさびしさの間(平成28年1月28日)

標準語というものを知らないとき

さみしいとしか言わなかった

さみしいとしか聞いたことがなかった

いつの間にか

標準語を知るようになり

さびしいと聞き

またさびしいと言うようになった

歌謡曲を聴いていると

さみしいもあれば

さびしいと歌われている

慣れ親しんだ語感では

やはりさみしいがぴったりと来る

今夜はさみしくない時間が

過ぎていく

 

 

狂気と真実(平成28年1月27日)

狂気の中に真実があり

真実の中に狂気があり

世界は複雑混沌極まりない

干した濡れタオルが風にあおられ

地の果てまで飛んで行ってしまう

そんな長い時間を精神病院に生きた

男が退院した

アパートを借り自炊し

早寝早起き、自由を楽しんだ

干した濡れタオルが風に乗り

地の果てへ飛んでいく長い時間がまたすぎて

男はいつしか生活に倦み薬を放棄した

眠っていた狂気が再びうごめく

今こそ結婚するのだ

80歳だ あとはない

ダブルベッドを買い

真っ赤なパンツを買い集めた

カーテンがなまめかしく風にはためく

デパートの店員にほれ込み

プレゼントを持って日参する

ある日彼女がアパートに訪れる

そんな日を待つ忍耐そのものになった

 

センター試験まであと1週間(平成28年1月11日)

平成に変わるちょうど1年前

センター試験を受けた

その日は暖かく、会場の大学の芝生の庭に

シートをしいて、昼食を食べていると

日差しが心地よかった

うれしかったな あの日は

受験にこぎつけるまでの苦労と苦心がふっとんだ

帰りのバスを待っているとき、他の受験生が解答合わせを

しているのが聞えてきた

手から砂がこぼれるように次々に誤答に気づき

それでも夕方の青い空にうっすらとさす茜色の光の美しさに

心が動かされた

 

肝腎の試験はというと

数学はむずかしく2問目で手間取り

3問目へ進んだときは残り時間が少なくなっていた

高得点をねらっていたのだが、帰宅して採点すると

68%の出来。(これではとてもじゃないが

医学部の2次試験が無理だ)

しかし気落ちすることなく英語、社会は90%をとり、

国語は古文漢文がほとんどゼロ得点、現代国語は100%だったのだが

全体で79%の成績

関東の医学部へ2次試験願書を出すことに決めた

最終的にはセンター試験90%超えの生徒を合格させるとしても

2次試験の倍率を5倍に保つには79%成績の者にも受験のチャンスは

あると予測した

 

思ったとおり、受験番号が届いた

2次試験にそなえて、さっぱりわからない物理の教科書を

詠むのだが、むずかしくてむずかしくて閉口した

(未完)

 

愛の果て(平成28年1月11日)

愛が愛のままにとどまることは

ときにむずかしい

時間がたてばたつほどむずかしい

失われるのはしかたがないとして

憎悪へと変わったり

敵意に変わったりするのは

いただけない

にもかかわらず

それはひんぱんにおきていることだ

守銭奴だって考える(平成28年1月10日)

金のためだけに自分は生きてるのだろうか

どうやらそうではないような気がする

いや

人生は金

自分の信条はこれしかない

 

思い返してみる

自分は金のためだけに働いているのだろうか

感謝されたり

他人の役に立つことがうれしいから

そうではないのか

守銭奴は心がこうしてゆさぶられた

 

 

 

 

 

 

 

正月さみし(平成28年1月10日)

さびしいときには鉛筆を削ろう

こんな詩を書いた少女がいたのを

思い出した

半世紀も前のことだ

鉛筆を使うのがふつうだった頃

削るのは機械を使ったのか

それともナイフを使ったのか

実体験がないとこんな詩は書けないはずだ

さみしいと

いいあっていたあの頃の自分たち

 

正月が終わって早くも十日

エア・ポケットに突然落ちたかのように

さみしくなった

ふだん会えない者が相集い

感情がゆさぶられる

感情だって箱に入れられるのだ

箱の中身が引っ張り出される

別れたあとの言い知れぬさみしさ

いっそ会うのじゃなかった

激しい後悔は後の祭り

祭りの後はさみしいと

人は言う

それでも会わずにいられない

年に一度のお正月

 

 

言葉は変わる(平成28年1月4日)

鰹節はきっと鰹干しから変化したものだろう

竹取物語は婿取物語から変化したものだろう

竹を基軸に据えながら物語の舞台が設定される

けれども

竹は舞台設定以上の意味は持たされていない

物語の中心はかぐや姫の婿に誰が選ばれるかにあるのだから

婿取り物語が内容を表した題であろう

語り継がれるうちに

竹取物語へと変化していったにちがいない

この強靭さ(平成28年1月3日)

人間は考える葦である

パスカルかく語りき

同時に人間は強靭である

いつも思うのだ

アフリカ大陸から歩き続けて

大陸の果てに到り

氷河期が何度もあった

それでも歩き続けた

靴もなく足の裏から血が流れただろう

食べ物もなく

けだものの肉だけを食べて

いったい何が楽しくて

そんな苦難に耐えたのか?

 

子どもらの笑う顔悲しむ顔に

限りない慈しみを感じて

親たちは生きる勇気をふりしぼったのだろう

老いた親を看取り残して立ち去る

涙をぬぐうこともできず

それでも生きる責任の重さをかみしめたのだろう