手水鉢(平成26年2月5日)

道路ぎわに置かれた手水鉢。

散歩中の犬が水を飲んでいるのを

見たことがある。犬飲鉢と名まえを

変えた方がいいな。

苔がまといつき、草がおおい、

梅もどきの赤い実がささやく

無人の村の

打ち捨てられた庭の一隅のよう

朝日は鉢の氷をとかした

淡雪を背にのせて(平成26年2月5日)

ざらめのような雪がうっすらと積もった。

地域ネコは今朝もガラス窓にやってきた。

三好達治の有名な4行詩がある。

太郎を眠らせ

太郎の屋根に雪ふりつむ

次郎を眠らせ

次郎の屋根に雪ふりつむ

たわむれに、このあとに

4行をつけ足してみた。

黒猫に食わせてやれ

黒猫の背中に雪ふりつむ

白猫に食わせてやれ

白猫の背中に雪ふりつむ

 

 

節分の次の日に(平成26年2月4日)

色とりどりの豆。

節分にまくはずだったのに、食べてしまった。

ニッキの味がした。

とあるうちの、きのうの豆まき。

たくさんの部屋があって、どの部屋でも

豆まきをした。たくさんの豆が床にころがった。

掃除がたいへんである。

ところがこのうちには掃除人がいて、きれいに

片付けてくれた。

掃除人の名まえは信玄。

うちではみんなから信ちゃんと呼ばれている。

信ちゃんは甲斐犬なんだ。

そして豆が大好き。

 

 

立春の朝 ネコ(平成26年2月4日)

冷え込んだ朝。

いつものように地域ネコが窓ぎわに寄ってくる。

空腹のはずなのにみかんには見向きもしない。

立ちあがって窓ガラスを2本の前足でこする。

早くエサをちょうだい!

春が立つ朝に

ネコも立ち上がるのだ。

早くエサをちょうだい!

 

幼稚園の節分(平成26年2月3日)

寺社では豆まきが行われたきょう節分の日。

幼稚園ではこどもたちの前に

鬼が出る日だった。

年中さんのM子ちゃんはいつものように朝起きたとき、

きょうは幼稚園に行きたくないと思った。

鬼が来るからだった。鬼は本当にこわいからだった。

お母さんは行きたくないとうったえるM子ちゃんを

なだめすかして園に連れて行った。

あと30分ほどしたら、鬼が来るという頃、

M子ちゃんの発熱に気づいた先生から母親に

連絡が入った。すぐにやってきた母親は

インフルエンザかもしれないと思い、

田中クリニックへ連れてきた。

ぐったりしているわけでなく発熱も激しくないので

検査を行なうことになった。

その検査は、鼻の奥の方へ綿棒を

さしこんで鼻汁をとってくる痛い検査である。

M子ちゃんは涙をポロポロと流し、

お母さんにしがみつき、声を出して泣いた。

結果はA型のインフルエンザだった。

薬を待つ間、絵本を読んで、泣き顔は

すっかり消えていた。

 

伊勢神宮 二見ヶ浦(平成26年2月2日)

伊勢神宮と言えば私には楽しいとは言えない思い出がある。

修学旅行に行けなかった生徒がいる。

昔も今もそういう事情は変わらないはずだ。

私もそんな生徒の一人だった。

小学校6年生。目的地は

伊勢神宮と二見ヶ浦だった。

流行病にかかり、1か月間学校を休んでいるうちに

級友たちはお伊勢さんに行って帰ってきたのだった。

幼児のころに始まっていた夜尿症はなかなか治らず、

小学校3年生になった頃から、6年生になったら

修学旅行に行き一泊することがこども心に

悩みの種だった。

ふだんは忘れていても何かの拍子に

思い出されるのであった。

そういうこども心にとって

行かずにすんだことは安堵と言えば安堵だった。

不参加の残念さよりも安堵の方がまさっていた。

病気がなおって1か月ぶりに登校した日のこと。

数人の女の子たちのグループがおみやげにと言って

お菓子や絵葉書をくれた。

その子たちは日ごろ、宿題をし忘れたといっては

廊下に立たされるのが常だった。

今の私は思うのだ。

廊下に立たされたその女の子たちは

どんな気持ちでその時間をすごしていたのだろう。

そして今、どうしているのだろうと。

東京の空(平成26年2月1日)

2月1日の早朝、NHKの番組「小さな旅」が放送された。

成田から銀座までJR成田線に乗って重さ40キロの野菜や

食糧を背に50年以上も行商を続ける85歳の老女と、

その老女を助け、助けられる銀座界隈の住人や通勤者との

触れ合いを描いたものだった。

用事のためJRに乗って東京へ向かいながら、番組のことを

思い出していた。

40キロの荷物こそないけれど、収入を得るために上京する

私のしていることは、たっぷりと心に重荷をしょって、

実は行商にほかならない。

行先ですることは品物を売ることではなく、

研修会に参加し、講演を聴いたり意見を言うことだけれど。

あるいはもっと端的に出稼ぎと言ってもいいくらいだ。

まことに人生は旅。

その中でまた出稼ぎのために旅をする。

東京の空は旅人を見下ろしてゆっくりと暮れていく。

飛ぶ鳥の姿は見えず、鳴き声は聞えなかった。