好きな木(平成26年2月15日)

浄水場の跡地に植わった1本の木。

ポプラの木だ。

さかさまに立てられた竹ぼうきのよう。

満員電車に詰め込まれ肩をすぼめる人のよう。

これがボクの好きな木なんだ。

背丈が高いので、周りには高い建物がないので

遠くからも見える。広々とした空間に

枝を横に張り出して美しいシルエットを作ればいいのに、

窮屈そうに枝が幹に添う。密集林に植えられたと

勘違いでもしているのか。

北国の木のはずなのだが、近畿のこんな所に来たのだ。

ボクの暮らす四里四方の内で

一番好きな木。ポプラの木。

雨風の強い二月の今夜、

真っ暗がりの中、枝はさびしく揺れて

さかさまほうきのように

僕の心も揺さぶられる

 

偶然、それとも必然(平成26年2月13日)

エサになるような物が何もなくて、

食事中のこちらを見ては、悲しそうな声で鳴く。

空腹を訴えるような目つきとしぐさ。

こんなでき事も偶然なのか、それとも必然なのだろうか?

今朝、通勤の道で知り合いのOさんに出会った。

京都に来ることが決まり、家探しをするとき、

空き家を見つけてくれた人だ。

その竹林に囲まれた空き家が気に入ってというよりも

空き家のあるあたりの風景が気に入って、

ついに今の住処を見つけた。

もしOさんが家探しをしていなかったら、家探しを

しても竹林に囲まれた家が空いてなければ、

おそらく今の住処には至っていなかっただろう。

これは偶然なのだろうか、それとも必然なのだろうか?

数年前、Oさんが田中クリニックにやってきて、

「寝れないよ。先週、兄貴が死んでしまった。

死に際に大きな息をしていたのを思い出したら、

寝れなくなった」

ふだん威勢のいい人なのに、憔悴した様子だった。

この人にも、死ねば泣くようなお兄さんがいたのだ。

人の心を感じさせられたときだった。

すべての道(平成26年2月11日)

すべての道はローマに通じる。

目をさまして、真っ先に頭に

うかんだのは、

すべての道はローマに通ず。

これが一番大事な目標というものがあるとして、

一見なんの関係もないようなあれこれの作業や

用事があるときに、このことわざを思い出してみる。

なにをしていてもローマに到着するのだ。

エナジーがわいてきた。

 

夕焼け(平成26年2月11日)

よく見ないと見えないくらいの小さな月が

夕焼け空に浮かぶ。葉を落とした枝の

ずっとずっと遠くに。

祝日。

風が冷たく、かぶっていた帽子を

さらに深くかぶった。

犬を連れたご近所の人が

通りがかった。

同じような帽子。

暗くなって空を見上げると

半月よりはふくらんだ月が

夕方より大きく明るく光っていた。

 

真逆(平成26年2月10日)

ときどき目にする、真逆ということば。

こんなことばはあったのかな?

それにしてはよく使われている。

正反対という意味だという。

それなら正反対と言えばいいのに、と思う。正反対だって、

反対を強めるために「正」を付け足したのだから

逆を強めるために、「真」をつけたのだろう。

真正面とか真昼とか真夜中と同じこと。

2か月に一度、診察にやってくる70代半ばの

紳士、S氏はいつもこうおっしゃる。

「お元気でしたか?」

「はい、わりと元気に過ごしていました」と私。

まるで私が診察を受けているみたいだ。

そうなんだ。

これが真逆なんだ。

つらら(平成26年2月9日)

つららが水中にまで延びているように見える。

冷たい風が細いつららをゆらす時、

深夜にひとり赤ん坊が生まれた。

2月になって初めての出産の立ち合い。

京都に来てから、かれこれ10年近く、

立ち合いをしてきたのがしきりに思い出された。

 

習字の時間(平成26年2月6日)

手水鉢のそばを通ったら、つららを見つけた。

竹の注ぎ口と水面を橋渡しするようにできた

まっすぐな棒のような形だ。

中学校1年生の3学期の今頃、

週に1回、習字の時間があった。

回を重ねるうちに楽しくなってきて

心がおどる感覚がうまれてきた。

そのときに書いた字は高得点を

つけてもらった。

けれど、その時が学校で習字を習う

最後の授業だとは思いもよらなかった。

習字の私塾に通って、もっともっと書いておけば

よかった。小さな後悔である。

そう、人生とは無数の後悔の別名なのだ。

たばこ好きの哲学者(平成26年2月5日)

先月の終わり、映画館で映画を見た。

ハンナ・アーレント

ヘビースモーカーで

一日に80本のたばこを吸ったという。

映画の中のハンナは白くて長い美しい指をしていた。

しかし本当のハンナの指は黄色くなり、

爪までも黄色になっていたはずだ。

摩天楼の見えるアパートの書斎にこもり

たくさんの哲学の本を書いた。20冊もある。

1ページまた1ページと読んでいくと

タイプをうちながら吸ったタバコのにおいが

ただよってくるように感じられるのだった。