葉っぱそうじ(平成26年4月27日)

早朝と午後に2度にわけて

葉っぱそうじ。どんぐりの木から

落ちた葉とモミジの枯葉。

始めると楽しいので、

目にすなぼこりが入っても

頭にテントウムシがとまっても

かまわず続ける。

夜になって目が痛んだ。

防御メガネをかけ、手袋をはめ、

膝おおいをつけ、つまり

葉っぱ集めの正装をしなくてはならなかった。

言葉は魔法(平成26年4月23日)

人と人が語り合うとき

相手の言葉にいくらかは納得する

おたがいに納得し合うので

別れたあとには相手の語ったことの

一部分が自分のなかにとけこんでいく。

その反対に相手の中にも自分が

語ったことが一部分しみこんでいく

こうして人と人とはたがいに影響を受ける

影響をうけない者どうしのあいだでは

つぎに語らうことはしない。

人と人が語らうことはたがいに

魔法をかけあうことだ

郵便局にて(平成26年4月18日)

おらさ

これさ

速達より早くて安いので

送ってくんねえか。

困り顔の局員さん。

また別のある日

おれ

さっきに来たんだよな

そしたらいっぱいで帰ったんだ。

番号札がいるだなんて知らねえからさ

それで今来たのさ

おれを先にやれって言うんだ

困った顔の局員さん。

トイレから聞えてきた泣き声(平成26年4月18日)

音楽教室にかよいピアノを習っているT子ちゃん。

今は小学校3年生で、かなりむずかしい曲をひく。

習い始めた4歳のとき。

トイレで泣いている声が聞えてきた。

「ふききれな~い」

ピアノの先生がトイレに入って

おしりをふいてあげた。

えのきだけのようなものが出かかったまま

ぶらさがっていて

それがふききれなかったのだった。

ふいてもらったT子ちゃんはにこりとして

ぺこりと頭をさげ、ありがとうと言って

帰っていった。

笑ってますねん(平成26年4月16日)

京都に来てから

、「なんとかかんとかしてわらってますねん」

という話しをたまに聞くことがある。

軽いあいさつのようでもある。

なかなか味わいのある表現だと思う。

「あんないやなことがあった、こんな困ったことが

あった」という話しは時として

聞かされる相手もくらい気持ちにさせてしまう。

そうならないように配慮された表現が

「なんとかかんとかして笑ってますねん」だ。

顔で笑って心で泣いて

それはそれでマナーなのだ

 

ピカピカの好きな宮沢賢治(平成26年4月16日)

宮沢賢治はピカピカという言葉をよく使った。

「雲の信号」という詩があってその最初の3行。

あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし

畑仕事にいつ使われてもいいように

ピカピカにみがかれた農具。

自分におきかえて言えば

医学書や薬辞典や検査ガイドラインが

きちんと並べられた本棚を連想する。

いつでも使えるようにそこに控えている道具。

「鍬はピカピカ」という題の詩が確か

あったと思ったけれど、乱雑な本棚のどこかに

埋もれてしまっているようで見つけられなかった。

a cup of tea (平成26年4月14日)

運動量のわりに食べる量が多く

体に脂肪として蓄えられる。

それが役に立つのならいいのだが

まるで役には立ってくれない。

食べる量を制限することにした。

昼食をとるのをやめてみた。

朝7時代から夜7時代まで食べ物はなし。

おなかがすいたなあ。

空腹感はあってもがまんの範囲内だ。

お茶を飲むことにしてみた。

お茶がしみじみおいしいと感じる。

お茶の種類は多いのでいろんな種類を

これから楽しめそうだ。

日曜農園(平成26年4月13日)

トラクターを動かしてうねを作る。

膝をついて、細かい雑草をとる。

そんな作業をしている老夫婦を見た。

いつも何かしら植わっている畑の

今年の作業の始まりのようであった。

作業はきつく体は疲れるだろう。

しかしそれを補って余りあるはずだ。

きょうの戸外の気温、風、日差しは

絶好とはとても言えないが、風はなく、

したがって砂埃はたたず、心地よい日よりだった。

くもりなので日焼けの心配もいらないのであった。

もしたとえ狭くても農園を持つ持つことが

できたなら、それを幸せと感じる人は少なくないと

思う、そんな日曜だった。

神戸散歩その1(平成26年4月12日)

土曜日、仕事が午前中に終わった。

午後、予定していた神戸散歩に出かけた。

神戸生まれの神戸育ちと思ってはいても

知らないことばかり。せめてあの道や

この道の角に立ち、父母をしのぶよすがと

したい。

南北の幹線道路、川と

東西の電鉄、国道とを歩きたい。

たとえれば神戸のお遍路さんというわけだ。

JR六甲駅から阪神電車「新在家」駅まで

歩いた。

ゆるやかな下り坂と海の方へ向かうんだという

期待とで胸がはずんだ。

東西に延びる神戸製鋼所の広い敷地を迂回する道が

わからず、海へいたることはできなかった。

阪神電車に乗って梅田へ向かった。

こどもの頃、乗っていた阪神電車と大きく

変わってはいなかった。

「新在家」駅は初めて乗る駅。途中の魚崎、芦屋、

香炉園はなつかしい名まえ。