シベリア帰り 水の思い出(2019年8月2日)

6万人のシベリア抑留

その中に父は入っていた

厳寒の地に2年足らず

 

水の配給は一人コップ一杯ほど

口に含んでうがいをし

うがいが終わると両手に受けて

それで顔を洗った

 

そう

捕虜同然の者にとっては

水こそ命

 

定期的にソ連人医師による身体検査が

行われた

素っ裸にして女性医師の前に立たされるのであった

大きなペニスの男を見ると

女性医師がうれしそうな表情をしたという

女も飢えていたのだろう

 

父は早くに帰国を認められた

やせていたし

私とちがってなかなかのイケメンだったから

女性医師が情けをかけてくれたにちがいない

 

何十年もたつのに

毎夜水道栓はあいていないか

水は滴っていないか

就眠儀式のように

点検するのであった

 

水のしたたり落ちていく

一滴一滴を見つめている

 

逆立ち(2019年8月2日)

前かがみになったときに

胃の中のものが口から出てこないのは

なぜだろう

逆立ちしたからと言って

嘔吐しないのはなぜだろう

それはね

胃と食堂の境目には噴門部と

呼ばれる関門があって

ここが閉じられているからなんだ

もし噴門がなければ

大変だぞ

 

もうすぐ卒業という小学校6年生の終わり頃

どういうなりゆきか

クラス担任の先生に

逆さづりにされた

ここで騒ぐときっと面白がるだろうと

不思議と冷静に読んで

素知らぬ顔をして

逆さづりされたままにしていた

そうすると案の定

まもなく

解放された

帰宅して父にも母にも妹にも

言わなかった

やはり屈辱だったからだ

「おまえこの頃太ったな

それじゃ、ひとつ、体重を測ってやろうか」

こんな流れの、とんでもない成り行きだったと思うのだ

このことを今思い出すのは

今時の学校と父兄との関係の中では

決して許されることではないと思うからだ

教師にとっては

古き良き時代

生徒にとっては

古き悪しき時代だったのである

 

目くそ鼻くそ(2019年8月1日)

今日も気温が上がりそうだ

予報では37℃(京都)だという

午後の日差しを思うと気持ちがめげる

朝のうちに出かける用事はすませておこう

まだ8時前だ

そこへ

東京の知人から電話がかかってきた

今月中旬に帰省するから

時間があったら会わないか

いいよと二つ返事で承諾した

ところで

京都は暑いところやなあ

こっちは涼しいで

へえ何度なん

35℃や

急に関西弁になって話が続く

きみはからだが弱いから大事にせなあかんで

水ようけのんどるか

など大きなお世話

しかしだ

35℃が37℃をあわれむのは

目くそ鼻くそを笑う

いや

目くそ鼻くそをあわれむ

だな

ともかくも

目くそ鼻くそには気をつけないとね

一人暮らしはなおさらだ

外出前に点検してくれていた

妻はもういないのだから

投票日(2019年7月22日)

妻「投票は何時ごろに行こうかな」

夫「そうだな、早めに行こうか」

妻「9時頃にしようよ。その前に洗濯を終えておくから」

夫「どこに投票しようかな」

妻「どこに入れたらいいの? 今回は」

夫「〇〇党がいいんじゃない」

妻「じゃあ、そうする」

自転車にめいめい乗り、3分ほどの

小学校の体育館へ向かうと

土足対応のシートを歩き

鉛筆で書く

体育館をあとにしてふたたび

自転車に乗って家路につく

投票日の朝はいつもこんな感じですぎるのであった

 

妻が逝ってしまって初めての投票日を昨日迎えた

投票日の翌日、つまり今朝になって

朝刊を開いたとき

投票に行かなかったことに気がついた

投票日の朝のいつもの語らいがなくなってしまったせいだろうか

夏の楽しみ 夏の苦しみ(2019年7月17日)

暑くて暑くてとぐちを言っていたら

心頭滅却すれば火もまた涼し

と言い返されてしまった

 

暑さを感じなくなるほど熱中するものが

あればどんなにいいだろう

 

そういうものがないときだって

夏の楽しみというものがある

 

たくさんまいておいたアサガオの種が

花をつけ、毎朝,その数を数えた

朝に咲いては夕にしぼむ

毎朝咲き続け、数え続け、

夏は終わった