暑くけだるい昼下がり
意気が上がらず消沈の時間
こんな時があるものだ
こういう時こそ
心をば鬼にして
心のエネルギーをくみ上げる
するとふしぎ
力というものが
よみがえる
暑くけだるい昼下がり
意気が上がらず消沈の時間
こんな時があるものだ
こういう時こそ
心をば鬼にして
心のエネルギーをくみ上げる
するとふしぎ
力というものが
よみがえる
再び京阪神地区に大きな地震のあった日だ
電話、メール、LINE
見舞いの言葉が届けられる
それは一瞬の光として心に届く
届いたと同時に消えている
夕焼けの流れ星ははかなく消えて
あとかたもない
6月には祝日がない
なぜだろう
夏至こそ祝いたい
それはさびしい日でもある
昼間が短くなる
気温はさらに暑くなる
来年の夏至を待つ日の始まり
生きていなければならない
柑橘と書いて
かんきつと読めない人が多い
忘れられた漢字の多いこと
みかんは蜜柑
橘はたちばなと読んでもらえないだろう
読めても書いてはもらえないだろうな
雛人形の飾りに使われ
左近の桜 右近の橘
冬のみかんから始まり
伊予かん ネーブル
清見オレンジ
河内晩柑
夏みかんへ
一年中絶えることのない柑橘類
一個の柑橘を半個に割り
朝の食卓のはじまり
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
古今和歌集の頃と変わらず
みかんの花の香りは今も
人をひきつける
まるで地球が縮んだかのように
京都と東京は目と鼻の先
新幹線は一直線
明日は東大駒場へ
なぜか正門あたりをありありと想像できる
さば街道よりは
高級そうなので
伊勢路を旅することにした
鯖には申し訳ないが
伊勢海老の方が上等じゃないか
乗り物酔いする身としては
山陰線の横揺れはたまったもんじゃない
伊勢路の近鉄特急は快適にひた走る
というわけで
雨の翌日
冬の日に 雪がちらつくそんな日に
伊勢詣でとあいなった
念じることはただひとつ
ただひとつだけ念じることがあったのだ
どれほどの時間がたったというのだろう
5歳の自分がその幹にだきついた大木は
どこにあるのだろう
5歳の自分はどこかに行ってしまい
そのお社の
その簡素さが目にしみた
クルマに乗ろうと
運転免許をとった
しかし
クルマを持てずに
紙運転者になっていた
時はすぎて
いつのまにか
クルマを運転するようになっていた
いつの間にか
自分の車を持ち
日が昇り日が沈み
花が咲き花が枯れるように
玄関を出ると
足はひとりでに
クルマに向かうのだった
クルマに乗ることは
生きること
しかし
人が生きるとは
自分の足で歩くこと
両手で荷物を運ぶこと
クルマを飛ばすようには
生きられないんだよ
目に見えず
手でふれることもできず
それでいて確実にあるもの
時間とはふしぎなものだ
それでいて
命と同じくらいたいせつなもの
命とは時間のこと
それは私に
吐く息にも
吸う息にも
つきまとい
かたときもそばを離れることがない
この私の悲しみは
誰にもわかるまい
けれど
誰にもわかってもらえないことを
私は悲しまないのだ
それは私の大切なものだから
誰にも知られず
この悲しみとともに
生きていこうと思う
さっきから椅子に座ったり
立ち上がって歩いたり
するとかなしくなってきた
うつむいみたら
足が見えていっそう
かなしくなってきた
この足はどこへも歩いていけないのだ
今度は上を向いてみた
天井が見えるだけ
おもしろくもないし
ますますかなしくなってきた
上を向いて歩こう
だなんて
かなしくて かなしくて
今のわたしにはできっこない
足元に飼いウサギがまとわりつくので
しゃがんで背をなでてやった
ふうわりとやわらかで
わたしの心がなでられているみたい