北海道にしては暑い夏の日
神戸から来た両親と北海道開拓記念館に行った
園内を一通り見て歩き
ベンチで一休みしていると
園内を回遊する馬車が通りかかった。
ろばが引いていた。
「ろばがかわいそうやな」
父が言った
ろばが馬車を引くのはあたりまえに
見える光景だった。
動物愛護などには何の関心もない父だった
北海道にしては暑い夏の日
神戸から来た両親と北海道開拓記念館に行った
園内を一通り見て歩き
ベンチで一休みしていると
園内を回遊する馬車が通りかかった。
ろばが引いていた。
「ろばがかわいそうやな」
父が言った
ろばが馬車を引くのはあたりまえに
見える光景だった。
動物愛護などには何の関心もない父だった
晩御飯のメニューに困ったら
カレーを作るように
詩が書けなくなったら
花を歌えばいい
最近になって訃報を知ったという
亡妻の友人から
フラワーアレンジメントが届いた
カサブランカを中心に
白い花々でまとめられていた
毎日水やりをしていると
つぼみだったカサブランカが
ひとつ、またひとつと花を開いていき
薄緑色のさやが開くと白色に変わっていく
その変化を見ていて2週間が過ぎた
最後のつぼみが開いて、もうじき
茶色になっていきそうだ
その変化は人の命のうつろいのようにも
見える
13歳のときに知り合ったという友人は
今ごろ思い出をかみしめていることだろう
北国の冬の校庭で
雪合戦に遊び興じた
少女の日々の思い出を
ここに一組の男女がいる
わけがあって一緒にはなれない
そこで
二人は天国に行ったら
一緒になろうと
約束をした
しかし天国がどこにあるのか
わからない
そう語り合う二人の目から
涙が流れ
頬をつたい
テーブルに落ちた
限りない真実が
涙の中に輝いていた
いつまでも忘れない思い出がある。
中学1年生1月の中間テスト。
自分なりの準備でのぞんだら、さんざんの成績だった。
弁当の時間に食べていると、数学の先生から呼び出しが
かかった。
説教された。
「これからだんだん難しくなる。今ならまだ間に合う。勉強しなさい」
こんな話を聞いて、席に戻ると、
涙が出てきて、残りの弁当を食べられなくなった。
その日、いつものように帰宅して
いつもとちがって、勉強を始めた
コロナの致死率はどのくらい?
毎日の新聞には感染者数と死亡数がのっている。
それを見ると、致死率は5パーセント。
ところで、感染者数というのは、コロナ感染と
検査で診断された人の数のことだ。
ということは感染しても症状がなかった人とか
風邪かなと思っているうちに治った人を含めると
感染者はもうすごいたくさんの数になる。
無症状や軽症の人を含めた感染者数と死亡数からは
致死率は0.05パーセントくらいらしい。
あれほど長い時間を一緒に過ごしていたのに
思い出せることは断片的なことばかり。
そんな断片を拾い集めようと
報われるとは限らない営みを
やめずに続けよう。
今夜はまたひとつちいさなかけらを見つけた
宝物のように大切にするのだ。
ボールペンはね
必ず、ノック式の芯をしまうのよ。
私が無頓着にボールペンの芯を出しっぱなしに
しているのを見かねてこんなことを言っていた。
芯を出したままなら
服を汚したり、
胸のポケットにさせば
ポケットに色がついてしまう。
そういう人をときに見かけることがある。
その時から
ボールペンの芯は必ず
しまう習慣を身に着けた
名も無い町に住む高校生二人
この男女は同じ高校にかよい
恋仲なのだ
学校は休校
おまけにステイホームで
会うことができない
知恵を絞り
ジョギング姿で夕方に
公園で会うことを決めた
ジョギング姿でそれぞれが
公園に向かった
誰もいないのを確かめてから
ブランコに乗った
ゆらりゆらり
二つのブランコが同期して
揺れながら
話し合うのだった
「私たちはどうなるんだろう」
「わからない」
「不安だな」
「不安だわ」
「ただ私たちが愛し合っていること。
このことは絶対に間違いはないの」
「何がどうなったって、これだけは間違いがないのよ」
ブランコが止まり
二人はめいめいの方角へと
走り去った
ステイホームがいきすぎて
ステイアローンになっちまう
ホームステイなら
いいんだが
自分のうちに
ホームステイしてると
思えばいいんだな
1962年に流行した歌
電話でキス
というタイトルの歌がある
ポール・アンカが歌った
原題は
キス・オン・ザ・フォン
そんな古い歌を思い出した
オンラインで飲み会や帰省ができるのなら
オンラインでキスだってできるだろう
昨日は変わりやすい天気だった
晴れて
曇って
雨が降り
風が吹いた
今日は打って変わって晴れた
風が吹いていたけれど
今日の俳句一つ
青空に 慰められる この孤独