これは私の夏だから
これが最初の夏であるかのように
これが最後の夏であるかのように
味わい尽くさなければならない
惰眠の底へ落ちていかないように
目を見開いていなければならない
これは私の夏だから
これが最初の夏であるかのように
これが最後の夏であるかのように
味わい尽くさなければならない
惰眠の底へ落ちていかないように
目を見開いていなければならない
いつまでも いつもでも
空高く輝く陽が あたかも不動に見えていたのが
いつしか山峰の向こうへ姿を隠す
いつまでも いつまでも薄暗がりが あたかも不動に見えていたのが
いつしか闇が訪れる
闇の中に身を置いていると あたかも自分が闇に溶けていく
融けていく 闇の中に
それは悪くない感覚だ
それは心地よい感覚だ
闇とともに融通無碍 行けぬところがなくなる
いつまでも いつまでも 闇そのもになって
やがて来た朝の前で 融けてゆく雪のように
解けていく 解けていく
こぞの年ついぞ水田を見ず
稲穂の実りたるを見しのみ
今年こそ水田を見なければなるまいて
陽気に誘われ田園地帯を
歩いて回った
どこにもそれはなく
乾いた地面が連なるのみ
とうとうこの地も稲作を放棄したか
日焼けした老婦を見つけ問うてみた
あと3週間だよ
カエルが鳴いてうるさくなるよ
6月になったら、梅雨の頃、
水田を見て回りに来なくてはならぬ
失われゆくみずほの国の景観を
記憶に焼き付けなくてはならぬ
人によってはTDLとUSJがなくてはならぬものの筆頭だ
おのれにとっては水田、海岸、砂浜だ
文句は誰にもあるまいて
とある人物の誕生日である
祝いの食卓に
不在となった
飾られた花も
ピカピカに磨かれた皿も
不在をいっそう際立たせる
空っぽの器にやがて
飲み物が注がれ
心に記憶が訪れる
主役不在の誕生日に
満たされるものがあった
空青し 山青し 海青し
blue sky
blue mountain
blue ocean
きょうは緑の日
green day
青から緑へ
愛される色は移ろうけれど
青の深みに我を忘れて
緑の色の豊かさに心は融ける
きょうはみどりの日
blue dayではないんだよ
(望郷五月歌は佐藤春夫が故郷の
紀州を歌ったもの)
宝石がありました
365個もありました
12の箱に入れました
1月の箱に31個
2月の箱に28個というふうに
どの箱もどの箱も輝いていました
あなたと過ごした夜と昼
365個もありました
12の箱に入れられて
あなたが満1歳になるまでの
宝石のような月日
右手にスマホ
左手にガイドブック
世はまさにツーリズムの時代
自動車修理屋のオレに言わせれば
右往左往の時節ってもんよ
小学校の幼馴染に会いに行くとか
そういうことをしたいもんだ
グルメだ ヒラメだ メカジキだ
そんなもんよりオレの釣ったスズキを
あいつに届けてやりたい
『ナチュラル・ハウス・ブック』という題の
建築分野の本があった
その中に
『隠れた跳躍』という題の本が
扱われていた
誤訳なのだが
『沈黙の春』がよく知られた邦訳の本である
原題が言わんとするのは
鳥の鳴かない春のことだ
種々の化学物質のために
鳥がいなくなってしまった
あとには沈黙の春が残された
鳥が鳴かないことをもはや忘れ去った
われらが耳には
軍団となって疾走するバイクの騒音や
オープンカーから
流れてくる音楽が
春を告げる知らせである
いつの日か
スマホがウグイスの鳴き声を
知らせる日が来るのだろう
祖父母と囲んだちゃぶ台に
いとこらとひしめきあって
夕餉をとるとき
決まってしらす干しの小鉢があった
小さなタコやエビが混じっているのを
発見するたび歓声がわきあがった
時がたち
一人去り二人去りすべて去り
めいめいの道を行き
あるいは道から外れ
今いずこにいるやら
今夜私の夕餉の小鉢
大根おろしにしらす干し
小さなタコやエビが混じり
歓声はもう聞こえないのだが
いとこらの小さき姿を
思い出させる
ムーミンは寝静まった家をあとにして
山へ向かった
花びらが風に舞って
深い谷へ落ちていくのを見つめていた
根元に積もった花びらを
眺めているうち
身体全体になすりつけて
帰ろうと考えた
パパとママに見せてやりたかった
持っていた接着剤を使って
はりつけることにふけった
日が暮れ始めているのにも気づかなかった
帰り着いたときには
額にただ一枚のはなびらが
ついているだけだった
その一枚を
パパとママは大切に
写真たてにかざってくれた