浜松といえば、ヤマハのピアノを連想する。カワイ楽器もある。スズキもある。ホンダもある。駅構内に小型のグランドピアノが展示されていた。
投稿者「tanakaclinicbg2925」のアーカイブ
浜松といえば
浜松といえば、やはりうなぎを連想する。23日の祝日に浜松まで日帰りで往復した。とても天気のいい日だった。JR浜松駅そばの高層ビルに昇った。南側の窓から海が見える。3キロほどの距離だそうだ。
きらきら海面が輝いていた。砂浜をはだしで歩きたいと思った。
診療所へのおみやげにうなぎパイをひと箱買った。
京都の紅葉 東京の黄葉
京都のもみじが今、盛りを迎えている。嵯峨も嵐山も連日、観光客でにぎわっている。
まだ若木のヤマカエデの木が4本植わっている。カエデは成長がゆっくりで、しかも大きくなるとうねりが出る。まっすぐ上に伸びる木ではない。だから街路樹には不向きだ。そのためか、東京にはカエデがめったにないようだ。
その代わり、イチョウが東京には多い。まっすぐ上に伸び、しかも成長が早い。
イチョウは漢字では銀杏と書く。このエッセイは、紅葉と対比させたかったので、黄葉と書いてみた。
住宅街の喫茶店 その2
近所の喫茶店には焙煎の建物が付属している。すぐ隣の建てられていて、ガラス張りなので、焙煎機がよく見える。
近所の喫茶店には焙煎の建物が付属している。すぐ隣の建てられていて、ガラス張りなので、焙煎機がよく見える。
住宅街の喫茶店
渡月橋から1㎞ほど北へのぼると、診療所のある嵯峨(さが)の町へいたる。嵯峨というのは山々という意味なのだそうだ。嵯峨の町には古くから数軒の喫茶店がある。
このヤマモト珈琲店がそのひとつだ。昼休みに時々、コーヒーを飲みに行く。
はるか昔本郷(ほんごう)にある東大の学生だった頃、法学部教授だった平野竜一先生が正門前の喫茶店に午後になると決まって向かう姿が見えた。きっと論文執筆の合間の憩いの時間だったのだろう。
そんな思い出を思い返しながら、コーヒーカップを手にとる。しかし平野教授とちがって学問的な思索はちっともわいてこない。
学生運動の運動家が平野先生の講義の始る前、教壇からマイクで演説をぶっていた日があった。どきなさいと制することもせず、平野教授は運動家学生の演説が終わるのを待っていた。その態度が紳士的であることを今わかるようになったのが、はるかな時間をへて私なりの成熟なのだろう。
椿咲く
今年もはや、椿の咲く時季が来た。
これは桃色の花びら。
木に春と書くけれど、秋の終わりから春先まで咲いては散り、咲いては散りを繰り返す。バラの花はもちろんきれいだけれど、椿だって負けていない。
急に冬が来た
降ったりやんだりの昨日だった。今朝は急に冬が来た。
柿の木の高い枝に実がまだゆれている。カラスやメジロの食べ物になるのだろう。
柿の葉っぱはほとんど散ってしまった。一年おきに実をつけるので、次は再来年まで待たないといけない。
大変だな
JRの駅に行き、みどりの窓口で切符を買った。すぐ後ろに3歳くらいの男の子とバギー車にのせられた乳児を連れた女性が並んだ。男の子はちょうど「大変だな」という言葉をおぼえたてのようで、何度も何度も「大変だな」と叫んでいる。
その女性は夫の通勤定期を代わりに買いに来たらしく、駅員さんからは
「通勤定期は代理の人には発行できないのですが、しかたないですね。ところでダンナさんはおいくつですか?」
ときかれた。
「30歳です」
とその女性が答えると、そばにいた男の子がすかざす
「大変だな」
と叫んだ。
「そう、そうね。お父さん、30歳になったのよ。本当に大変だわ」
とお母さんが話を続けた。
いいな、いいな、30歳だなんて。
タイサンボク
今年もツバメがやってきた
大きく口をあけて、親鳥が巣にもどるのを待つ。餌をみてから口をあけるのではなく、あけたままで、待ちうける。のどの奥まで見えるほどだ。もし鳴くだけの声帯が備わっていれば、大音響を出すのだろう。
声帯が備わっているのが、ススメとウグイスだ。ツバメには声帯が与えられなかった代わりに、空を飛ぶスピードととほうもない距離を飛行する知能を与えられたわけだ。