鮎釣り名人(2019年8月3日)

まだ8歳にもならないのに
鮎釣りのうまい男の子がいた

学校から帰りかばんを置くなり
道具をもって川へ走る
家が川のそばにあったら
どんなにいいだろう
男の子はそう思わずには
いられなかった

 しかし
今日はまったく釣れなかった
こういう日だってあるもんだと
なかなか思えなかった
肩を落として家に帰った

学校友達というものがなくて
両親が心配していた
男の子は平気だった
野球やゲームに誘われなくてすむのが
うれしかったのである
それに
鮎の釣り方やどこが釣れるか
いろんな男の子からも尋ねられ
丁寧におしえてあげるので
好かれていた
女の子が尋ねることもあった
「お父さんが鮎釣りしたいって言ってるの」
「一緒に連れて行ってもらえないかしら」

次の日曜日
女の子、女の子のお父さんと川へ行くことになった

シベリア帰り 水の思い出(2019年8月2日)

6万人のシベリア抑留

その中に父は入っていた

厳寒の地に2年足らず

 

水の配給は一人コップ一杯ほど

口に含んでうがいをし

うがいが終わると両手に受けて

それで顔を洗った

 

そう

捕虜同然の者にとっては

水こそ命

 

定期的にソ連人医師による身体検査が

行われた

素っ裸にして女性医師の前に立たされるのであった

大きなペニスの男を見ると

女性医師がうれしそうな表情をしたという

女も飢えていたのだろう

 

父は早くに帰国を認められた

やせていたし

私とちがってなかなかのイケメンだったから

女性医師が情けをかけてくれたにちがいない

 

何十年もたつのに

毎夜水道栓はあいていないか

水は滴っていないか

就眠儀式のように

点検するのであった

 

水のしたたり落ちていく

一滴一滴を見つめている

 

逆立ち(2019年8月2日)

前かがみになったときに

胃の中のものが口から出てこないのは

なぜだろう

逆立ちしたからと言って

嘔吐しないのはなぜだろう

それはね

胃と食堂の境目には噴門部と

呼ばれる関門があって

ここが閉じられているからなんだ

もし噴門がなければ

大変だぞ

 

もうすぐ卒業という小学校6年生の終わり頃

どういうなりゆきか

クラス担任の先生に

逆さづりにされた

ここで騒ぐときっと面白がるだろうと

不思議と冷静に読んで

素知らぬ顔をして

逆さづりされたままにしていた

そうすると案の定

まもなく

解放された

帰宅して父にも母にも妹にも

言わなかった

やはり屈辱だったからだ

「おまえこの頃太ったな

それじゃ、ひとつ、体重を測ってやろうか」

こんな流れの、とんでもない成り行きだったと思うのだ

このことを今思い出すのは

今時の学校と父兄との関係の中では

決して許されることではないと思うからだ

教師にとっては

古き良き時代

生徒にとっては

古き悪しき時代だったのである

 

目くそ鼻くそ(2019年8月1日)

今日も気温が上がりそうだ

予報では37℃(京都)だという

午後の日差しを思うと気持ちがめげる

朝のうちに出かける用事はすませておこう

まだ8時前だ

そこへ

東京の知人から電話がかかってきた

今月中旬に帰省するから

時間があったら会わないか

いいよと二つ返事で承諾した

ところで

京都は暑いところやなあ

こっちは涼しいで

へえ何度なん

35℃や

急に関西弁になって話が続く

きみはからだが弱いから大事にせなあかんで

水ようけのんどるか

など大きなお世話

しかしだ

35℃が37℃をあわれむのは

目くそ鼻くそを笑う

いや

目くそ鼻くそをあわれむ

だな

ともかくも

目くそ鼻くそには気をつけないとね

一人暮らしはなおさらだ

外出前に点検してくれていた

妻はもういないのだから

暑いだけなら(2019年8月1日)

仕事場から近いのと
コーヒーがおいしいのとで
ときどき行く喫茶店がある

昨日は暑さにたまりかねて
午後の空き時間に訪れた

シニア二人の男がしゃべりあっているのが
聞こえてきた

「俺んとこは女房が病気でよう、
3度目の入院をしてるんだ。
いつ良くなるかと聞いても
医者は何も言わない」

「そりゃたいへんだな。見舞いに行ったり
 しなきゃならないんだろう」

「見舞いに行くのはわけないさ。俺は
ひまだからね。帰り際がつらいのさ」

「そうだよな。暑さだけでもつらいのに
きみは病人を世話しなきゃいけないから
なおつらいよな」

「本当にそうさ。暑いだけならがまんすれば
いいだけのことだ。そのうち秋が来るんだもんな」

こんな話を聞きながら
今ここにいる夏はいずれは終わって
秋に席をゆずる
その確実さにみょうに感心するのだった