嵐山には飲食店が多くある
ぶらぶら歩きをしていると
いろんな看板が目につく
今日は京やさいカレーの看板を
見つけた
きっとウソなんだろうな
京やさいってきちんと決まっているのだが
きっと手ごろなやさいをみつくろって
京やさいといってるだけなんだろうな
やさいカレーってものが
カレーの上に炒めた野菜か油で揚げたのを
のっけてあるだけだ
いんちき食品なんだ
何だかきょうは
機嫌が悪い
嵐山には飲食店が多くある
ぶらぶら歩きをしていると
いろんな看板が目につく
今日は京やさいカレーの看板を
見つけた
きっとウソなんだろうな
京やさいってきちんと決まっているのだが
きっと手ごろなやさいをみつくろって
京やさいといってるだけなんだろうな
やさいカレーってものが
カレーの上に炒めた野菜か油で揚げたのを
のっけてあるだけだ
いんちき食品なんだ
何だかきょうは
機嫌が悪い
複雑なものは単純に
単純なものは複雑に
波打ち際にたたずむとき
永遠の繰り返しにたたずむ
こんな男がいたという
父母と三人暮らし
1匹の犬をかわいがり
人間の友だちを欲しなかった
義務教育だけは終えて
そのあとは社会というものと無縁に生きた
家にあって父母を助け
犬が死ぬと生き別れのつらさに耐えかねた
健脚だったので徒歩旅行にひとり
しばしば出かけるのだった
学ぶことは限りなくあり
書物に没頭しては時間が足りない
とこぼしていた
父を見送り母を看取り
一人身になっても
生き別れ死に別れするくらいなら
なんという身軽さ
シンプルライフ
ここにあり
JR京都駅から特急に乗ると
行けないところはないくらい
特急は各地は向かう
乗り物酔いさえなければ
舞鶴だって、和歌山だって、金沢だって
日帰りでも一泊でも往復できるのだが
酔い方がただならないので
あきらめるしかない
もうちょっとだけスピードを落としてくれたら
しかし横揺れは防げない
なんとかならないのかなあ
和菓子の包装紙には
小さなラベルが貼ってあり
材料が印刷されてある
さらに小さな字で
手亡
これは何だろう
てぼうと読んで
意味はインゲン豆のこと
あんが豆から作られたというわけだ
白い豆、赤い豆、緑の豆
豆のいろいろをまぶたに思い描いた
ほうれんそうをゆがいて
食べたら
なぜだろう
まるで初めて食べるみたいに
うまいのだ
外は真っ暗
外は雨
こんな風雨の夜に
屋根と壁に守られて
何の文句があるものか
えんどう豆 インゲン豆 さやえんどう
豆野菜の苦さと甘さ
ほうれんそう みずな
葉物野菜の苦さと甘さ
春はこんなふうに
苦くそして甘く
生きとし生けるものに
苦さだけではないことを
甘さだけではないことを
示すのだ
ピーマン2個に
玉ねぎ半個
オリーブオイルでいためて
塩をふる
できあがるのは
ねっとりとそして甘い味わいの
二人分の野菜料理
ありふれた朝の
ありふれた朝食の一品だ
きょうが平凡な一日であることを
予感しながら
ありふれた朝食の時間がすぎていく
きょうという日が
特別な一日にならないことを
言葉にならないような言葉で
願っている
さば街道よりは
高級そうなので
伊勢路を旅することにした
鯖には申し訳ないが
伊勢海老の方が上等じゃないか
乗り物酔いする身としては
山陰線の横揺れはたまったもんじゃない
伊勢路の近鉄特急は快適にひた走る
というわけで
雨の翌日
冬の日に 雪がちらつくそんな日に
伊勢詣でとあいなった
念じることはただひとつ
ただひとつだけ念じることがあったのだ
どれほどの時間がたったというのだろう
5歳の自分がその幹にだきついた大木は
どこにあるのだろう
5歳の自分はどこかに行ってしまい
そのお社の
その簡素さが目にしみた
クルマに乗ろうと
運転免許をとった
しかし
クルマを持てずに
紙運転者になっていた
時はすぎて
いつのまにか
クルマを運転するようになっていた
いつの間にか
自分の車を持ち
日が昇り日が沈み
花が咲き花が枯れるように
玄関を出ると
足はひとりでに
クルマに向かうのだった
クルマに乗ることは
生きること
しかし
人が生きるとは
自分の足で歩くこと
両手で荷物を運ぶこと
クルマを飛ばすようには
生きられないんだよ
これほど有名な映画を見たのは
最近のこと
そうは言っても父が生前のこと
「初めて見るなあ」と言うと
父はこう言った
「おまえは勉強に忙しかったから
見るひまがなかったんやな」
憐れむかのような口調で
実際いつも追われるかのように
勉強していた
頭のいい人なら短い時間ですむものを
グレゴリー・ぺっくはいい俳優だな
ほんとうに
王妃に惚れていたにちがいない
演技ならああはできないな