ほかほか亭(2020年11月21日)

自宅とクリニックの行き帰り

歩く道沿いに

ほかほか亭という持ち帰り弁当の店がある

夜になると

店内の明るい照明が街路にもれる

美味しいのかな

買って帰ろうか

毎日考える

食事を用意する手間がいらなくて

簡単にすませられる

買って帰ろうかな

誘惑を振り切って帰宅すると

何事もなかったかのように

店の名前すら忘れてしまう

一度だけ買って食べたことがある

亡妻の通夜を控えた午後に

義兄とその妻、私と娘の四人で食べたことを

思い出す

バス停にて(2020年11月21日)

暖かな午後の時間である

空は青く

街路樹のイチョウの

黄色の葉が歩道にふりかかる

バスを待つ時間に

本を開いて読んでいる人を見た

たいていは

スマホを見る人が多いのだが

珍しいので

思わずじろじろ見てしまった

うらやましかったのかもしれない

いいな

本を読む時間があって

帰宅したら

本を読もうっと

ジェットコースター(2020年11月19日)

妻も

私も

苦手なものの

一つが

ジェットコースターだった

「10万円をやると言われても

乗りたくない」

と私が言えば

「10万円をもらえるんなら

私は乗る」

と妻が答える

毎回、同じやり取りなのだが

忘れた頃に

ふとまた

同じやり取り

金額が10万円というところも

毎度

同じなのだった

ライフ・ログ(2020年11月3日)

『人生は一冊のノートにまとめなさい』という本を

読んでいた

今日初めて出会った言葉

日本語になおすと

人生の記録という意味

日々の行動の記録をしてみることを

勧めている

なるほど

大切な日のことを忘れないために

電車の切符を大切に持っていたのを

思い出した

特別な一日ではなくて

平凡な日だって

いろんなことがある

それをノートに記録しようと

勧めている

なぜなら

平凡な一日の方がはるかに多いのだから

そして平凡な毎日の中に

何かの予兆があったりする

小学生の頃(2020年11月1日)

なぜか

今日は小学生の頃を思い出す

授業時間のあいだ

先生の話すことに

うなづくのがくせだった

まるで自分だけに語られているように

うんうん、とうなづくのであった

後ろの席の女の子が

それ、変やで

というので

やめた

家庭科(2020年11月1日)

小学校の授業で

いちばん楽しい時間は

家庭科だった

運針も

調理実習も

ちりとり道具作りも

そんな話を亡妻にしたら

「そのわりには今はあんまり

家の用事をしないわね」

と言われてしまった

きっと

自分の思いは

過ぎ去った小学生の日々を

懐かしむところに

あって

家庭科が楽しいというのは

思い出の糸口だった

もし亡妻にもう一度語らせるなら

「小学生の頃って

誰にとっても懐かしい思い出があるわね

つらい思い出だってあるし

私にもいろいろある

それにしても家庭科が好きって意外だわ

そういう才能があるのだから

今、発揮したらいいんじゃないのかな」

エスカレーター(2020年10月27日)

二つ月ぶりに父と町のレストランで夕食をとった

反対方向にそれぞれが帰ることになり

私の乗ったエスカレーターは上に進み

プラットフォームの階についた

振り返ると

私を見つめる父の姿があった

その目がうるんでいるように見えた

さっき

目と目を見合わせて

きょうはさよならと

言ったばかりなのに

下りエレベーターに乗り

もう一度、父にさよならを言いたくなった

冷たい手(2020年10月21日)

冷たい手であった

まだ秋は始まったばかり

日差しは暖かなのに

カイロで温めなければ

かじかんでしまう

冷たい手であった

食べられない病気にかかり

体温を維持するためには

自分の体を燃やし

それでも体温は上がらず

カイロが頼りの

冷たい手であった

診療所のスタッフ皆で

手を握り

温めて

夜の闇をついて家路に送り出した

いつの日にか

成人し

温かな手になって

尋ねてくれることを

願った

きんもくせいと空(2020年10月18日)

いつの間にか

キンモクセイは出世した。

昔々のこと

元々は便所のそばに植えられる

雑木だったのだのに

今は愛でられる木になった

キンモクセイの香りが

漂う日に

青い空を見上げている人がいた

その人が逝って早二年

今年の開花は遅く

10月中旬になった

そのぶん 花のつきはよく

一面のオレンジの海のようだ

今日という日に

青い空を見上げて

キンモクセイの香りをかぎながら

亡妻を懐かしむ

キンモクセイは二度咲きすることを

誰か知っているだろうか

甦れ

妻よ

ものは言いよう(2020年10月16日)

映画館が映画館だった頃

シネコンというものがまだなかった頃

一人の女子高校生が映画館へ一人で

映画を見に行った

隣の席の男が彼女の膝に

手を伸ばしてきた

彼女は言った

おじさん

そんなことしてたら

痴漢と間違えれるで

男は手をひっこめた

もしこの女の子が

痴漢や

助けて

と騒ぐこともできただろう

この女の子は

冷静だった

そして

賢かった