
暖かい午後
風もなく ふらふらと歩いていたら
こんなレモンを見つけた
すっぱいので鳥は実をつつこうとせず
きれいな形でぶら下がっていた
この季節、かんきつ類が次々と産地から
都会のスーパーに届く
みかんのマーチみたいに
不知火(しらぬい)
清見オレンジ
甘夏
はっさく
甘くて さわやかで すっぱくて
ひととき
みかんのなかに我を忘れる
暖かい午後
風もなく ふらふらと歩いていたら
こんなレモンを見つけた
すっぱいので鳥は実をつつこうとせず
きれいな形でぶら下がっていた
この季節、かんきつ類が次々と産地から
都会のスーパーに届く
みかんのマーチみたいに
不知火(しらぬい)
清見オレンジ
甘夏
はっさく
甘くて さわやかで すっぱくて
ひととき
みかんのなかに我を忘れる
いちげんさん お断り
紹介のない初めての客は入れません
そういう店のことを
いちげんさん お断り
というそうだ
ちょっと違った意味にもとれる
一回だけしか来るつもりのない人は
お断りします
何度も通ってくれる客
ひいきにしてくれる客
そういう客を求めています
って意味ではないかしら
しかし一度も行ったことがないのに
何度も通うことを先に約束するって
無理なんじゃないか
こんなふうにも思う
よく考えてみたら
学校とか会社とか
入ってみるまではわからないはずなのに
ずっと居続けることを先に約束するところだ
結婚だって
ずっと添い続ける約束を先にしておくものだ
人生とは
こういうものなのかな
秘訣は3つ
一番目
面接担当者を信じること
初対面だから信じるも信じないもないと
普通は思うだろう
しかし 初対面にもかかわらず信じること
二番目
今、目の前にいる面接担当者は必ず
正しい判断をしてくれると信じること
三番目
もし面接試験合格なら喜べばいい
もし不合格なら
それでも喜べばいい
きみはこの会社では活躍できないよと
親切にも教えてくれたことに
夙川河口の近く
浜風が窓のカーテンをゆらす家に
その男は住んでいて
豪雨で流されてきた
猫2匹を飼っている
豪雨の翌日
どうやら生後1週間ほどだったので
牛乳を与えて育てたのだった
ある年の暮れ
知人から喪中はがきが届いた
妻に先立たれたことを知り
なんだか悲しくなり
自分の妻にこんなことを語ったという
「おれなあ、きみが先にいったら
ずっと落ち込んでると思う」
帰ってきた返事は
「あなたなんて、1週間したら
けろっとしてるわよ、きっと」
これを聞いて
男はもっと悲しくなり
次の朝
ふとんから出れなくなった
そのとき
ねこがきて
男の鼻をなめた
そのあと
男は鼻の頭を
こすりながら
明るい光が窓のカーテンの
向こうにさしたのを
目にとらえた
朝起きて
顔を洗って メシ食って
カバンを持って
学校に行く
こんな短歌を作ったら
いけないよ
あたりまえじゃないか
灘中国語の橋本先生は
強い口調でこう言った
あれから半世紀の時がすぎ
時代は変わり人も変わった
今ならこの短歌を
読んで涙する人がいるだろう
夙川
この字を読める人ばかりではないだろう
しゅくがわ
って読むんだ
六甲山から始まり
流れ流れて西宮港にそそぐ
甲子園球場まで
歩けば30分の距離だ
秋の日
晴れていたから
シニアのカップルがゆっくりと歩いている
手をつないで
足腰が弱いために
ゆっくりなのではなく
今このひとときを味わうために
ゆっくりと歩く
夕暮れが迫り
二度と帰らぬ時間が
去ろうとしていた
前を歩くシニアのカップル
後ろを歩く中年のカップル
はさまれた自分は
一人歩き
止まるも勝手
戻るも勝手
きままな川べりの散歩道である
日暮れて帰宅し
カップルは口論になっているかもしれない
もしかしたら
互いに口をきかずにいるかもしれない
もしかしたら
決別を考えているかもしれない
うらやまず
決してうらやまず
微風のそよぐ川べりを歩けた
幸せ
もう一度
同じ道を歩きたい
一人で
それとも二人で
甲子園といえば球場
球場といえば阪神タイガース
60年という時をこえて
男の子という男の子、
野球をしない男の子まで
全員がタイガースの野球帽をかぶっていた
甲子園といえば海
大阪湾に面した波の静かな浜が広がっていた
小学校の放課後にひとり
浜べを歩くのが好きだった
残りの男の子は
野球に興じていた
こどもとて
頭に浮かぶ雑念ひとつなく
ただ海を見ていた
思い込みがあった
誰にもあるものだから
それにしても
ふしぎな思い込みだった
二千円札は
銀行ATMでは入金できない
長いあいだ
こう思っていた
だから
二千円札を受け取ると
軽く舌打ちしていた
ある日
銀行ATMをじっくりと見た
見たというより見つめた
なんと
二千円札も入金できるじゃないか
その日から
二千円札を受け取るとき
舌打ちはしなくなった