こんな短歌はよくないよ(2018年7月23日)

古い話を持ちだすのは
いかにも年寄りじみて
恥ずべきおこないと
わかりつつ

半世紀も前の古びた校舎の
古びた教室
学生服の中学生の
国語の授業
のちに奇跡の教室で世に知られた
橋本武先生である

橋本武先生は
短歌の作り方を話してくれた
悪い作品を例にとって
これはいけないとたしなめられた

朝起きて 顔を洗って メシ食って
カバンを持って 学校へ行く

こんな当たり前は短歌じゃない
こんな話だ

時は過ぎて今
こどもが学校へ行かないうちでは
親はこんな短歌を読むと
涙ぐむかもしれない
あたりまえのことが
あたりまえにできる
それが奇跡だと

38.8℃(2018年7月19日)

昨日の京都市の最高気温
38.8℃
百葉箱の中に納められた気温計が
示す温度がこれなら
炎天下での気温はもっと高い

40℃は越えているだろう
観光客は日程を変えられないからか
短パン姿でうちわを使って歩く

この歴史的な炎暑の夏を
生きているわけだ
なぜかしら
生きていることに感謝したくなった

ゴッホ学者(2018年7月19日)

事務部門のあたりを通り過ぎるとき
「遠からずうちも身売りしないといけませんね」
係長と課長がひそひそ話をしていた

ゴッホ学者は時間講師だから
つまり風に吹かれて行先が決まるような
立場だから
たいして気にも止めずに
底のすり減った靴で
威勢よく教室へ向かった

さて本日はひまわりの作品解説である
スライド写真を見せながら講釈をするわけだが
この日はいつもとなにか違った
自分の解説に疑問を抱いたのだった

ひまわりを植えたことも育てたこともない
そういう自分が何をえらそうにしゃべっているのか

教室をあとにした
時間講師は帰り道に園芸店に立ち寄り
土、ひまわりの種、プランターを
買い求めた

次なる年
ひまわりが花を咲かせた
時間講師は目を細めて見つめていた

少女だったころ(2018年7月19日)

少女だったころの
この人には会ったことがない
どんな人も少女だったころの
しぐさや物言いを
いくつになっても忘れない

首をかたむけるしぐさや
手を動かすしぐさに
この人はいつも
こうやって
生きて来たんだなと
思う
長い年月

夏は来ぬ(2018年7月16日)

夏は来ぬ
旅をするなら
若いうち

あのころは
夏を暑いと感じたことはなかった
海や浜辺や襲いかかる宿題の山山

鈍感だったのか
熱中するものがあったからなのか

海を見ているだけで
浜を歩くだけで
なんともいえないうれしさで
胸がいっぱいになっていた

一日のサバイバル≪2018年7月16日)

死が眠りなら
眠りは死だということになる

死は眠り
眠りは死

朝に目がさめるのは死から生還したことになる
そう目覚めは生還のこと

一晩の眠りのあと目覚めたら
一日分のサバイバルを果たしたことになる

明日の目覚めは約束されていないので
目覚めは奇跡である

一夜の眠りに続く朝の目覚め
一日分のサバイバル