手をつないで

おさない女の子が
母にてをひかれて
みちを歩いている

お母さん
わたしはいつまでも
手をつないでいたい
ずっとずっと
いつまでも
約束してね
手を放さないって

手招き(2018年7月7日)

雨が近いのだろうか
風が吹く
やんだかと思うと
そっと風がしのびよる

父母が手招きをしている
早くこちらへ
おまえを待ってる
その目は悲しげにも
やさしげにも
見える

早くこちらへおいで

雨の日と生きる力(2018年7月5日)

雨脚が弱くなり近所の喫茶店へ向かった

禁煙になったせいで客は少なく

雨のせいでいっそう少なく

空席が目立った

窓際の席に座ると

年配の男が二人でやってきた

「わいらはもう生きる力はないけんね」

「そうやもういらんそんなもん」

「そうはゆうてもわいは雨に弱いわ 生きる力はゼロや」

「わいかてそないや」

「晴れの日に生きる力は誰にもあるもんや

雨の日こそ試されるんや」

いれたてのコーヒーの香りがして

三十の坂をこえたばかりに見えるウエイトレスが

足取り軽くカップを運んできた

万引き家族(2018年7月1日)

話題の映画を見た

子役のかわいらしいこと

食べるシーンの多いこと

カップめんを食べているのが

貧しさの表現なのか

小さな女の子の母になりたかったのだろうか

演技とはいえ、愛情を感じさせられた。

反面で、小さな男の子お父親になりたかったのだろうけれど

やや表現力がものたりなかった。

ひょうひょうとしすぎていた

生みの親より育ての親

遠くの親戚より近くの他人

そんなあたりまえのことを

思い出さされた

 

 

肉弾相打つ(2018年6月24日)

サッカー経験もないし

そのことを悔いもしないし

ただの見物人である

屈強の男たちの肉弾相打つ闘いには

心を揺さぶられる

昔語りをしてしまうなら

ベンハーというローマの戦車の

闘いの映画があった

戦車の器械美、男たちの身体能力、

魂をこめた闘い

そんな映画が想い出される

 

熊の冬眠 猫の昼寝(2018年6月23日)

腹いっぱいに食べた

寝ざめようの食糧もためた

穴も掘った

さあ寝るぞ

私や熊になりたい

デッキチェアに陽射しがさす

あたたかな木に横たわり

眠りをむさぼる

日は空高くに止まったかのように

猫の横顔にふりそそいでいる

私や猫になりたい

みっつのこと(2018年6月17日)

東京から京都へ

京都から東京へ

バスあり自動車あり電車あり

より取り見取りのこの時代

新幹線

車中の人となると

することが何もない

トラックで運ばれる荷物みたいなものだ

隣席では

弁当をひろげスマホをいじり

合間に缶ビールをちびちびと

憩の時間なのだろう

同時並行でできるのはみっつまでなんだ

さらに4つ目のことはできないのだろうな

と思っていたら

弁当をたいらげ缶ビールをのみほし

スマホを置いて

すやすやと眠り始めた

四つ目は眠ることだったのだ

あん人たちゃよか衆(2018年6月17日)

五木の子守唄 はこんなふうに始まる

おどま勧進勧進

あん人たちゃよか衆

よか衆ゃよか帯 よか着物

子守の屈辱の気持ちがにじみ出る

 

それがなんだというのだろう

着物がよいからといって

それを着ている人物がよいわけではない

それでも一度は着てみたい

よか着物