暑いと言っては夏休み
気候がいいと言っては秋休み
正月来たよと冬休み
桜が咲いたら春休み
これじゃほんまに
働く暇(いとま)がないわいな
暑いと言っては夏休み
気候がいいと言っては秋休み
正月来たよと冬休み
桜が咲いたら春休み
これじゃほんまに
働く暇(いとま)がないわいな
人は強くまた人は弱いもの
ただ一つのことが心の支えとなることもあれば
多くのものを持ちながら何一つ心の支えと
ならないときもある
そうだった
あの頃
ただ一つのことが心を支えていた
明日また会える
君と夕暮の町を歩きながら
日が沈むときが来ると
離れ離れになるのであった
明日また会える
このことだけが生きる意味を与えてくれた
一瞬とは永遠の時間のこと
永遠とは一瞬の時間のこと
一瞬の中に永遠を感じとることができないのなら
永遠に生きたとしても
この生のエッセンスを感じられないだろう
一瞥(いちべつ)
なんてすてきな言葉だろう
一瞥を交わす
瞳の中を見るときに
すべてが語られる
言葉ではなく
ぼくの先祖には
エジプト、トルコ、中近東に生きた者が
いたにちがいないと思う
人類はアフリカ発祥だからだ
そんな祖先は馬と一緒に
暮らしていた
寝床も同じ 居間も同じ
だって馬小屋が家なんだから
きみはいつも言っていた
夏が好き 秋はきらい さみしいから
それを聞くたびに
秋に生まれたぼくは悲しくなっていた
今年最後のムクゲの花
開かないたくさんのつぼみを残して
ひとり咲いて地面に落ちて行った
背丈50ミリの苗を送ってくれた
ふるさとの父母に知らせなくては
いちじくの実のなる季節が来た
実を枝から手でもぎとると
乳白色の汁が指につく
せっけんで洗ってもかんたんには
とれないほどべたつく
ゴムの木とそっくり
きっと紀元前から
いちじくとゴムの木とは
近縁の植物だったのだろう
すいふよう。
花期が長い。
酔芙蓉 君は7月 逝きて見ず
石畳にゴザを敷き
寝そべれば
行く雲 青空 時折の風
なすことはなにもなく
人も犬も同じに
草花 石清水 溶け合って
宇宙(コスモス)になる
夜明けのコーヒーをいれると
香りが部屋に充ちて
ムーミンは目をさました
お父さんはペンキ塗りを始めていた
「お父さん、生きるってどういうこと?」
「いらない物を片づけることさ」
服を着たムーミンは
部屋のゴミを片づけ始めたのだった
夏の終わりの朝はひんやりと
空気がおいしく
ムーミンは思いっきり息を吸ったのだった
アドラー心理学の野田俊作氏が8月16日ブログで
肯定文の力という題で記述をなされている。
忘れ物をしないで。という代わりに
持ち物は全部持ったの。
これはとても大事なことである。
ぜひその通りにしたいと思う。
自分に対して、他人に対して
肯定文で話しかけよう。
ところがこと文学の世界では逆転する。
文学は否定文において輝きを放つのである。
与謝野晶子の弟へささげた詩の題は
『君、死に給うことなかれ』である。
仮に、『君、生き給え』なら
平板な退屈な詩句となってしまう。
肯定文の世界と否定文の世界。
現実世界では肯定文を使い
文学という仮想世界では否定文を使う。
私たちには両方が必要なのである。