明日また会える(平成27年9月18日)

人は強くまた人は弱いもの

ただ一つのことが心の支えとなることもあれば

多くのものを持ちながら何一つ心の支えと

ならないときもある

そうだった

あの頃

ただ一つのことが心を支えていた

明日また会える

君と夕暮の町を歩きながら

日が沈むときが来ると

離れ離れになるのであった

明日また会える

このことだけが生きる意味を与えてくれた

 

 

一瞬は永遠のこと(平成27年9月16日)

一瞬とは永遠の時間のこと

永遠とは一瞬の時間のこと

一瞬の中に永遠を感じとることができないのなら

永遠に生きたとしても

この生のエッセンスを感じられないだろう

一瞥(いちべつ)

なんてすてきな言葉だろう

一瞥を交わす

瞳の中を見るときに

すべてが語られる

言葉ではなく

人も馬も(平成27年9月16日)

ぼくの先祖には

エジプト、トルコ、中近東に生きた者が

いたにちがいないと思う

人類はアフリカ発祥だからだ

そんな祖先は馬と一緒に

暮らしていた

寝床も同じ 居間も同じ

だって馬小屋が家なんだから

今年最後のムクゲの花(平成27年9月16日)

きみはいつも言っていた

夏が好き 秋はきらい さみしいから

それを聞くたびに

秋に生まれたぼくは悲しくなっていた

今年最後のムクゲの花

開かないたくさんのつぼみを残して

ひとり咲いて地面に落ちて行った

背丈50ミリの苗を送ってくれた

ふるさとの父母に知らせなくては

 

 

 

ムーミン谷はきょうも片づけ  (平成27年8月23日)

夜明けのコーヒーをいれると

香りが部屋に充ちて

ムーミンは目をさました

お父さんはペンキ塗りを始めていた

「お父さん、生きるってどういうこと?」

「いらない物を片づけることさ」

服を着たムーミンは

部屋のゴミを片づけ始めたのだった

夏の終わりの朝はひんやりと

空気がおいしく

ムーミンは思いっきり息を吸ったのだった

肯定文と否定文 (平成27年8月17日)

アドラー心理学の野田俊作氏が8月16日ブログで
肯定文の力という題で記述をなされている。
忘れ物をしないで。という代わりに
持ち物は全部持ったの。
これはとても大事なことである。
ぜひその通りにしたいと思う。
自分に対して、他人に対して
肯定文で話しかけよう。

ところがこと文学の世界では逆転する。
文学は否定文において輝きを放つのである。
与謝野晶子の弟へささげた詩の題は
『君、死に給うことなかれ』である。
仮に、『君、生き給え』なら
平板な退屈な詩句となってしまう。

肯定文の世界と否定文の世界。
現実世界では肯定文を使い
文学という仮想世界では否定文を使う。

私たちには両方が必要なのである。