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早朝に犬をつれて散歩に出る
向かいからも犬をつれた人がやってくる
軽く会釈してとおりすぎる
いつもの光景である
雨の日
部屋で犬とじゃれていると
鼻をかまれ流血し
救急受診し応急処置を受けた
傷口は深く形成外科にかようことになった
自分が犬の飼い主なのだが
逆も言えるとこの飼い主は思うのだ
犬がこの自分を飼っているのだと
雨でない限り
犬がこの自分を散歩につれていってくれる
そう
主人は犬なのだ
この服を自分が着ていると思っているのだが
そうではない
服が自分に着せてやっているのだ
主人は服だ
夜
眠りに落ちる前に
枕を頭に当てる
枕が自分の首と頭を
当てているのだ
主人は枕だ
もういい
誰が主人であってもいい
自分はただ夜に深く眠りたいだけだ
言葉をあやつり
言葉を飾り
かくして
世界は作られる
世界は言葉でできている
言葉をいかにあやつろうとも
言葉をいかに飾ろうとも
言葉の世界は作られても
声は真実を告げる
いつも
言葉の世界を声が打ち壊す
アマデウス
モーツァルトを描いた映画があり
一場面があり
それはこんな情景である
妻のコンスタンツェがモーツァルトに
「ウルフィー」と呼びかける声だ
その優しさ
その声に込められた愛情
女が男を愛するとき
男が女を愛するとき
人が人を愛するとき
親が子を愛するとき
声に
思いがあらわれる
声が世界を創る
声だけが世界を創るのだ
犬や猫では
歩くと走るとが
はっきりとちがいがある
人でも歩くと走るのちがいが
たしかにある
その境い目はどこに
こんなことを考えるよりも
走ることも歩くこともできるうちに
走りたいと思う
犬だって猫だって走るのだから
「雨にも負けず」の詩句では
でくのぼうと呼ばれ
これがこの詩の神髄である
言いかえをしてもいい
アホ バカ マヌケと呼ばれ
今日も
アホ バカ マヌケ
と呼ばれ
呼ばれ続けて
それにしてはたいしてめげずに生きている
そういう者に
私はなりたい
きみはアイロンかけをしたことがあるだろうか
きみはいつもアイロンかけをしているだろうか
ここにアイロンかけのじょうずな男がいる
貧乏学生だった頃にアイロンかけをおぼえた
おぼえた行為は習慣となり
思考を必要とせず腕が動く
男は毎晩
幼稚園の制服にアイロンを当てる
娘は四歳年少さん
定職がないわが身のふがいなさが
ときに脳裏をよぎるのだけれど
今夜もアイロンかけに余念がない
園から帰宅し娘が見せた表情を
思い返すとき手がとまる
服の上に一滴、二滴としたたり落ちた物があった
目からの涙だったのか
額からの汗だったのか
男はアイロンかけを続けた
家族の寝静まった夜の
闇の深さが一層深くなった
仲良しの
男の子と女の子
同じことに笑い
同じことにびっくりする
彼らは互いを理解していたのだろうか
おそらくそうではない
理解などいらなかったのだ
美しい誤解をしていたのかもしれぬ
たがいを好きだったので
欠けているものは何もなかった
外は晴れ
気温は摂氏22度
戸外には目もくれず
勉強机にかじりついて
計算問題、漢字ドリル、
朝から晩まで倦みもせず
親から言われたわけでもないのに
勉強机に向かって座り続け
人生を無駄にした男とも言えるのだが
ただひとつだけまともな感覚を持っていた
勉強机を設計する人はきっと
勉強したことのない人だな
天板下の引出しは使いづらい
引出しをあけるには椅子を後ろに
引かないとあけられない
男に女性が寄り添い
二人のあいだに幾人かのこどもが産まれた
食卓が男の勉強机にいつしかなっていった
食卓が一番
花の終わったサボテンの鉢ひとつ
単純な作りのその姿
鉢ひとつ
自分の忠実なしもべ
ほかにはいかなるしもべもない
自分を託することのできるもの
たった一つのサボテンの鉢
初対面の人同士
にこやかに和やかに
何やら楽しげに語らう
貴重で得難いときである。
けれど
彼らの間にあるのは友情と誤解
そして誤解はきまって美しい
誤解から理解にいたる時
真実はにがい味がする
人はふたたび孤独にひたり
美しかった誤解の時間をなつかしむのだ
空といい
天といい
宇宙という
このとりとめのなさ
よるべなさ
この宇宙のなかのどこに
身をおけばいいのやら