田辺聖子さんのエッセイ集はたくさんあって
『ラーメン煮えたのご存じない』が一番印象に残っている
「いもの煮えたのご存じない」をもじったタイトルである。
その中に
「あほとがんこ」という題のエッセイがある。
あほだからがんこになるのか
がんこだからあほになるのか
どっちだろう?
まあこんな話である。
田辺聖子さんのエッセイ集はたくさんあって
『ラーメン煮えたのご存じない』が一番印象に残っている
「いもの煮えたのご存じない」をもじったタイトルである。
その中に
「あほとがんこ」という題のエッセイがある。
あほだからがんこになるのか
がんこだからあほになるのか
どっちだろう?
まあこんな話である。
こんな生徒がいた
昔話を語りたくなった
中学一年生
真新しい学生服を着て
さあ何をしたか
隣りの生徒とけんかした
黒板消しの道具を持ちあい
互いにたたき合いをした
黒い学生服の上着はチョークのかすで
白くなってしまった
冷静というか冷めているというのだろう
この生徒はかく語った
「おれは勉強は嫌いなんや
しかし勉強はするんや」
時は流れ時は過ぎて
高校3年生
隣りの学校の女子生徒がみな
ふりかえるほどの美少年になった
時は流れ時は過ぎて
東大のキャンパスを長い髪をして
さっそうと歩いていた
それが私が彼を見た最後である
今もきみは美老年だろうか
日暮れは毎日数分ずつ早まる
夜明けもまた毎日数分ずつ遅くなる
8月7日の立秋を過ぎると気温がわずかに下がる
お盆を過ぎれば気温はさらに下がる
目には見えないほどの小さな変化が重なっていく
そして秋が来る
人もまた同じ
今日練習したからといって変化は感じれない
今日けいこをしなかったからといって変化は何も感じれない
けれども
練習の日々が積み重なり大きな変化を作り上げげ
けいこしない日々の積み重なりもまた同じ
特技があれば
尊敬されるし、頼りにされるし、
他人の役に立てる
自分の特技が何かを発見し
努力を重ねる
10歳になったときには
スタートを切ること
ボールペンを使い終わったら
芯をひっこめる
ハンコを使ったら
朱肉をふき取る
体温と気温が拮抗し
厳しい気象が続く
秋霜烈日なんて言い方を思い出す
気温が体温を抜き去ってしまうと
どうなるか
衣服はかえって長袖長ズボンになっていく
ぶかぶかの衣服の方がずっと
涼しくなる
まだ8歳にもならないのに
鮎釣りのうまい男の子がいた
学校から帰りかばんを置くなり
道具をもって川へ走る
家が川のそばにあったら
どんなにいいだろう
男の子はそう思わずには
いられなかった
しかし
今日はまったく釣れなかった
こういう日だってあるもんだと
なかなか思えなかった
肩を落として家に帰った
学校友達というものがなくて
両親が心配していた
男の子は平気だった
野球やゲームに誘われなくてすむのが
うれしかったのである
それに
鮎の釣り方やどこが釣れるか
いろんな男の子からも尋ねられ
丁寧におしえてあげるので
好かれていた
女の子が尋ねることもあった
「お父さんが鮎釣りしたいって言ってるの」
「一緒に連れて行ってもらえないかしら」
次の日曜日
女の子、女の子のお父さんと川へ行くことになった
深夜なのに海を見たい
ただそれだけのためにクルマを走らせた
日本海と入力したら道順はカーナビが決める
国道を走り地方道を抜け
ひたすら走り続け
夜が白むころ
目的地に到着
入江の向こうには水平線が広がり
朝日は雲に隠れていた
6万人のシベリア抑留
その中に父は入っていた
厳寒の地に2年足らず
水の配給は一人コップ一杯ほど
口に含んでうがいをし
うがいが終わると両手に受けて
それで顔を洗った
そう
捕虜同然の者にとっては
水こそ命
定期的にソ連人医師による身体検査が
行われた
素っ裸にして女性医師の前に立たされるのであった
大きなペニスの男を見ると
女性医師がうれしそうな表情をしたという
女も飢えていたのだろう
父は早くに帰国を認められた
やせていたし
私とちがってなかなかのイケメンだったから
女性医師が情けをかけてくれたにちがいない
何十年もたつのに
毎夜水道栓はあいていないか
水は滴っていないか
就眠儀式のように
点検するのであった
水のしたたり落ちていく
一滴一滴を見つめている
ウナギの値段が高騰しているそうだ
そのせいで
今年は牛肉の焼肉をのせたどんぶりを
提供する店がふえたのだそうだ
丑の日が牛の日に
だんだん変わっていく
それを誰も止められない