がんことあほ(2019年8月24日)

田辺聖子さんのエッセイ集はたくさんあって
『ラーメン煮えたのご存じない』が一番印象に残っている

「いもの煮えたのご存じない」をもじったタイトルである。
その中に
「あほとがんこ」という題のエッセイがある。

あほだからがんこになるのか
がんこだからあほになるのか
どっちだろう?

まあこんな話である。

見上げた生徒(2019年8月19日)

こんな生徒がいた
昔話を語りたくなった

中学一年生
真新しい学生服を着て
さあ何をしたか
隣りの生徒とけんかした
黒板消しの道具を持ちあい
互いにたたき合いをした
黒い学生服の上着はチョークのかすで
白くなってしまった

冷静というか冷めているというのだろう
この生徒はかく語った
「おれは勉強は嫌いなんや
しかし勉強はするんや」

時は流れ時は過ぎて
高校3年生
隣りの学校の女子生徒がみな
ふりかえるほどの美少年になった

時は流れ時は過ぎて
東大のキャンパスを長い髪をして
さっそうと歩いていた

それが私が彼を見た最後である
今もきみは美老年だろうか

小さな移り変わり(2019年8月6日)

日暮れは毎日数分ずつ早まる

夜明けもまた毎日数分ずつ遅くなる

8月7日の立秋を過ぎると気温がわずかに下がる

お盆を過ぎれば気温はさらに下がる

目には見えないほどの小さな変化が重なっていく

そして秋が来る

人もまた同じ

今日練習したからといって変化は感じれない

今日けいこをしなかったからといって変化は何も感じれない

けれども

練習の日々が積み重なり大きな変化を作り上げげ

けいこしない日々の積み重なりもまた同じ

 

 

鮎釣り名人(2019年8月3日)

まだ8歳にもならないのに
鮎釣りのうまい男の子がいた

学校から帰りかばんを置くなり
道具をもって川へ走る
家が川のそばにあったら
どんなにいいだろう
男の子はそう思わずには
いられなかった

 しかし
今日はまったく釣れなかった
こういう日だってあるもんだと
なかなか思えなかった
肩を落として家に帰った

学校友達というものがなくて
両親が心配していた
男の子は平気だった
野球やゲームに誘われなくてすむのが
うれしかったのである
それに
鮎の釣り方やどこが釣れるか
いろんな男の子からも尋ねられ
丁寧におしえてあげるので
好かれていた
女の子が尋ねることもあった
「お父さんが鮎釣りしたいって言ってるの」
「一緒に連れて行ってもらえないかしら」

次の日曜日
女の子、女の子のお父さんと川へ行くことになった

シベリア帰り 水の思い出(2019年8月2日)

6万人のシベリア抑留

その中に父は入っていた

厳寒の地に2年足らず

 

水の配給は一人コップ一杯ほど

口に含んでうがいをし

うがいが終わると両手に受けて

それで顔を洗った

 

そう

捕虜同然の者にとっては

水こそ命

 

定期的にソ連人医師による身体検査が

行われた

素っ裸にして女性医師の前に立たされるのであった

大きなペニスの男を見ると

女性医師がうれしそうな表情をしたという

女も飢えていたのだろう

 

父は早くに帰国を認められた

やせていたし

私とちがってなかなかのイケメンだったから

女性医師が情けをかけてくれたにちがいない

 

何十年もたつのに

毎夜水道栓はあいていないか

水は滴っていないか

就眠儀式のように

点検するのであった

 

水のしたたり落ちていく

一滴一滴を見つめている