向こうに見えるのは親の家(平成26年5月6日)

西神戸のとあるJR沿線の町

かなり急な坂をのぼっていくと

向こうに見えてきた

親の家は草が生い茂り

笹は伸びほうだい

あばら家になっていた

全部で3時間の予定で

不用品をかたづける作業をした

古い手紙や趣味のものなどが

残されている

見始めると作業の手がとまる

親の家の整理は

自分自身の整理だ

 

 

 

 

 

観光の服装(平成26年5月5日)

ここ嵐山は観光で訪れる人が多い

きょうのような雨でも

道を歩く人がとだえない

雨にうたれるかえでの新緑が目にしみる

服装に目がいってしまうとき

言葉は明らかに日本語以外なのに

服装はふだん着で

私たち日本に住む人と変わらない

いつか外国へ旅したら

服屋を見に行きたい

萩原朔太郎は

せめて新しき背広着て旅に出ん

とうたったけれども

晴れ着の旅人は嵐山には来ない

忘却の心理学(平成26年5月5日)

地域ネコは子ネコを生み終わったらしく

半月ほど前に現れたときにはおなかの

ふくらみがなくなっていた

全体にやせて授乳のため

栄養がもっていかれているのだろうか

きょうは長い時間、えさ入れの皿あたりに

たむろしている

子ネコを忘却したのではあるまい

子ネコは生後まもなく全匹死んでしまったのか

忘却といえばきのうのことはかなりおぼえているけれど

1週間前のこととなると相当忘れている

人はなぜ最近のことでさえ忘却するのだろう

うるわしの5月(平成26年5月4日)

早朝からおだやかな天気の予感があった

風はそよ風、空は晴れ、気温あたたか

うるわしの5月そのもの

ドイツ語ではシェーン・マイ

戸外に出て陽に当たっていると

心が安らいだ

町一番の陰気な人も

家から外へ歩み出た

西に傾いた太陽がいつまでも

沈まないでほしいと思った

こんな天気の日は一年をとおして

十日あるなしだろう。

6月はジューン・ブライド

きっと一日くらいは夕空が明るく晴れて

美しい日があるだろう。

月に一度のとびきりの

気象の美しい日

生きる理由がここにある

 

 

 

真夜中の結婚届(平成26年5月2日)

宿直の役所の職員は

初めての仕事の夜

どんなカップルが夜中に

届を持ってくるのだろうかと

いぶかしく思いながら

硬いソファに座っていた

 

自分のうちなら今頃

缶ビール片手にテレビとあいなっているころだ

ああのみたいな

 

午前0時を回る頃

二人連れの男女が来た

あまりのみすぼらしい服装に

ちょっとお恵みをさしあげなくては

ポケットに手を入れて小銭をさがし

宿直員はこの新婚カップルをあわれんだ

 

届を整理箱にしまい

さっきまで座っていた硬いソファに

戻ろうとしたとき

帰っていくカップルの後ろ姿が見えた

 

後ろ姿はふたりの間の愛を

真昼のおだやかな光のように

はなっていた

 

宿直員は思った

あれが愛なのだ

愛が人間に宿る時

あんな姿になるのだ

 

貧しいために

夜おそくまで二人して働き

結婚式も披露宴も

指輪も花束もない

ただ愛しかない

 

夜が更けて

町は静まり

亡妻がしきりに思い出された

宿直員は眠りに落ちていった

 

 

17歳(平成26年5月1日)

~藤圭子にささぐ~

15,16,17と

どの顔も美しい

顔の造作がいかにあれ

どの顔も輝かんばかり

15,16,17と

生存競争が行なわれ

勝つ者、負ける者、

脱落する者、頂点を極める者

過酷きわまりない季節

15,16,17と

その頭では知らないこと

18,19と

ますます生存競争は激しくなる

すさまじい喉笛の切り合いが始まる

けれども

ますます人の顔は美しくなる

 

80歳女性の静かな愉しみ(平成26年5月1日)

一人目の人は言う

もうね、育児も終わったから

すいかを育てるのが私の愉しみ

ネットをかけたり、袋をかけたり

こんな大きなすいかができるのよ

運ぶのがたいへんだけれどね

これがいちばん愉しいよ

二人目の人は言う

私はコーヒーを入れるのがうまいのよ

半プロだもんね

友達が来たら

神戸の豆屋から取り寄せた豆で

入れるのさ

毎週1回取り寄せる

京都の豆は使わないよ

三人目の人は言う

だーれも人は来ないよ

それが私はいちばん好き

庭に出て、来る日も来る日も

草引きする

部屋には大きな犬がいるよ

私はこわいので

犬は言うことをよく聞くんだ