ツタのからまっていない
あの建物は確かに
学校図書館だった
生涯のある時季
図書館通いを人はすべきものだ
しなかった後悔がおそいかかる
もう立ち入りできないのだが
想像せずにはいられない
椅子に座り
本を広げている自分の姿を
ツタのからまっていない
あの建物は確かに
学校図書館だった
生涯のある時季
図書館通いを人はすべきものだ
しなかった後悔がおそいかかる
もう立ち入りできないのだが
想像せずにはいられない
椅子に座り
本を広げている自分の姿を
JR京都駅改札口
観光客
学生
生徒
子ども連れの家族
二人連
一人客
ありとあらゆる組み合わせ
後から後から人が出入りする
春は爛漫
私の目をひいたのは
改札口に向かいふりかえる人に
手をふりながら
涙をながしている婦人だった
旅立つ人の見送りのようであった
春こそは別れの季節
過ぎし年
1月 母が死に
2月 雪が神戸の町にふりしきり
3月 神戸発京都行き電車が
芦屋駅に停車したとき
鉄道ダイヤの
あまりの時間の正確さが
失われたものを思い出させた
春が来たとて
何うれしかろ
家電の店に行くと電子書籍が読めるという
機械のコーナーがある。
足をとめて見ていると興味がわいてくる。
しかし実際に使ってみようとまだ思わない。
あの本の何ページあたりに、こんな文が
あったな、という記憶が残らないような気がする。
本箱のあの場所においてある本の中に
こんな文があったという記憶のしかたが
できないだろう。
ただの食わず嫌いかもしれない。
JR嵯峨嵐山駅前の
民家の庭にあんずの木がある。
桜よりも先に満開の時期を迎える。
駅を降り立った人が
この木の前に立ち止り、
「桜かしらねえ」『梅かしらねえ」
と話し合うのを通りすがりに耳にする。
確か去年は幹に「あんずです」と
名札のようなものをつけていた。
あんずも桃もアーモンドも
サクラそっくりの花をつける。
一度見るだけでは区別がつかなくてむりはない。
アーモンドの日本名は扁桃。
低気圧の影響だとか、
朝から風がぴゅうと吹いている。
かと思うと静まり返ってなぎになる。
夕方、雨あがり、どんよりと黒い雲が
広がる空の下、落ち葉そうじをした。
紅葉の散った葉、常緑樹から落ちたばかりの葉。
竹ぼうきで掃いて、軍手をはめた両手で
ゴミ捨て専用の袋に入れる。
30リットル入りの袋がほぼ一杯になった。
落ち葉の下からどんぐりが現れたり、
楓の二葉を見つけたり、楽しい時間だった。
まだ掃除していない葉がたくさん残っている。
ふたたび強くなった風が葉を吹き飛ばした。
朝起きて
顔を洗って
飯食って
かばんを持って
学校へ行く
こんな短歌は
いけないよ
たしなめられた
橋本国語銀の匙
朝に起き
食事をとり
学校へ行く
当たり前に見えるのだが
もしこの生徒が
母親は病気療養中
弟妹の世話を
しなければならず
父親を手伝い
朝ごはんを作っているのなら
橋本国語銀の匙は
この生徒の労をねぎらいつつ
背景を想像しながら
歌を鑑賞するようにと
他の生徒らにさとしただろう
空を見上げたとき
晴れた日の夕焼けが
今日と同じように美しかった
中学校の日々が
思い出された
橋本武氏は
『銀の匙』を教材にして
中学国語を教え
平成26年8月
101歳の生涯を終えた
タクシーが日の丸をはためかして
疾走する
きょうは春分の日だ
祝日だ
いつもやってくるネコのおなかが
だんだんふくれてきた
動くと前後左右にゆれる
身重なのだ。
ちょうど1年前もそうだった
人ならば腹帯をそろそろ巻こうか
という時期
ネコの安産を祈って
腹帯を巻いてやろう
犬の日にね
そこは小さな3歳までの保育園
3歳になるこどもが巣立っていく
きょうは小さな卒園式だ
3年間の苦労を思い出し
失われていくものに涙する親と
次に進む保育園に思いを寄せるこどもと
まなざしは反対方向を向いている
手をつないで門を出る親子に
三月の陽射しがそそいだ
雲の真白に心うたれて
雪の真白をなつかしむ
きょうはもう
春がそこまでやって来た
色とりどりの花よりも
花は白
つぎつぎとはなびらひらく
梅の真白
きょうはホワイト・デイ
昔語りをしたいときが誰にもある
得意の日々の数々を
失意の日々の数々を
誰に向かってするのか相手を
慎重に選ぶがいい
そうすれば語りは生き生きと動き出す
しかし語りすぎることなかれ
人は未来に向かって生きるもの
未来の話しを好むもの
それは人の習性だ
習性にさからうことはむずかしい
得意の日々の数々を
失意の日々の数々を
君語りすぎることなかれ