
いつものように、夜に手術の手伝いに行った。帰る頃、街路はすっかり暗くなっている。ガソリンスタンドが暗がりの中に浮かびあがる。セルフスタンドにもすっかりなれた。
このスタンドは24時間営業をしている。給油作業をする空間は無人だ。

いつものように、夜に手術の手伝いに行った。帰る頃、街路はすっかり暗くなっている。ガソリンスタンドが暗がりの中に浮かびあがる。セルフスタンドにもすっかりなれた。
このスタンドは24時間営業をしている。給油作業をする空間は無人だ。

もうすぐ夏も終わりが来る。蚊取り線香を見ていたら、そんなことを思った。来年の夏まで、物置の中にひっそりとしまわれる。そんな日が近い。
蚊は英語ではモスキートーというのだそうだ。日本語では一文字で、「か」と言えばすむ。
モスキートーが普及するのはまだまだ先のことだろう。それともそんな日は来ないかもしれない。

日没が早くなった。あかとんぼが飛んでいる。蝉の声が小さくなった。虫の音。秋を知らせるものがつぎつぎと登場する。写真に写しにくいものばかりだ。空を写した。飛行機雲がひとすじ、浮かぶ。
鉄道の好きな人を鉄ちゃんと言うのだそうだ。ならば飛行機の好きな人はひこちゃんと言うのだろうか? 両方とも好きな人がいれば、鉄彦ちゃんというわけだ。

水曜日はいつもなら提携先の診療所の外来診察の日だけれども、休暇をいただいて、はるばる福島市まで日帰りをした。東京駅から東北新幹線に乗り換える。途中、大宮駅を過ぎるあたりから、沿線風景はビル街から田んぼに変わった。青々としたその色に見とれているうち、福島市に着いた。
この日の午前、福島地方裁判所で、ある刑事裁判の公判が開かれ、無罪判決が出された。午後には福島県の産科医療の現状を話し合う集会がもたれた。集会に出席してみると、たくさんの職種の人々がさまざまな意見を述べていた。
夕方になる前に、知人の産婦人科医たちと肩を並べて会場を後にして、駅に向かった。
「駅は細長い」
このとき、そう思った。
線路はほぼ直線だし、連結された新幹線車両の長さも200メートルは超えている。駅のプラットフォームが長く延びるのは当然のことだ。駅を外から眺めると左右に長く伸びている形をあらためて発見したような気持ちになった。
東京駅だとか、京都駅だと、線路がたくさん並走するので、駅の幅も長くなる。ふだん何気なく見ている駅の風景が新鮮に見えた。

左側には比叡山、右側には入道雲。あのモコモコとした感じは写真には写らない。デジカメの限界か、それとも、撮影者の腕前の限界か。
明日の夜は、五山送り火だ。大文字焼きというのは通称なのだそうだ。

サルスベリにしては大木になった。花の色は淡いピンク。夏の花は、サルスベリといい、芙蓉(ふよう)といい、夾竹桃(きょうちくとう)といい、長持ちするのが多い。
落柿舎といっても知らない人が多い。らくししゃと読む。近所の子供たちはらくがきしゃと読んでいる。芭蕉の弟子のひとり、向井去来の住居だそうだ。四畳半、三畳、台所だけの小さな建物である。江戸の人は、今の人よりもはるかに持ち物が少ないから、これだけの広さで十分だったのだろう。

札幌市内の大倉山近くの知人をたずねた。山羊の大人が5頭、子山羊が3頭、縄につながれている。子山羊だけれども、角がある。ひとなつっこくて、近づいてくる。思わず、あたまをなでた。
草なら何でも食べる。大人山羊はけっこうにおう。子山羊はその点、においがしない。 後ろにある緑は野生のミントで、これも香りがいい。気温は25度あるかないかのさわやかな日曜日だった。
北海道にもいたことのある石川啄木の歌に「カニとたわむる」というのがある。題は啄木の歌から拝借したというわけだ。

飛行機の左側の窓から津軽海峡が見えた。
西に傾きかけた太陽が海峡の真中を明るく照らす。
この後、30分ほどして機体は千歳空港に着陸した。

京都駅から「はるか」に乗り、関西空港へ向かう。特急列車のなまえが「はるか」だ。
交通費の比較では、伊丹空港へ行く方が断然、安く、しかも空港までの所要時間の比較でも京都―伊丹間の方が近い。ただ関西空港が便利なのは、「はるか」の始発に乗れば、終点が関西空港なので、うっかり乗り過ごす心配がないことだ。伊丹空港よりも不人気のせいで、いつも車内が混雑しないのも、いい点だ。JR西日本は気が気でないだろうけれど。関西空港で降りて、札幌行きの飛行機に乗った。
一泊だけの帰省旅行だ。

昨夜、室内にムカデを見つけた。全長5センチくらいのまだこどものムカデだった。しかし、室内で生息してもらっては困るので、退治した。
今朝明るくなる頃、地震があった。震度2くらいに感じた。震源地での震度はどのくらいだろう?
夕方、雷雨があった。激しい降りになった。夕焼けの時刻になると、雨があがった。霧がわいてきた。