日曜の夜になると
明日は月曜日
当たり前だ
けれど
行先がなんと中学校の教室だとしたら
かまうことはない
断然として登校するだろう
持ち物は何もなく
せめて体だけでもと駆けつけるだろう
駆けつけてみれば
なんということ
元のままのクラスの生徒がそろっているではないか
すっぽりと抜け落ちた時間
明日から中学生だって
やれるんだ
日曜の夜になると
明日は月曜日
当たり前だ
けれど
行先がなんと中学校の教室だとしたら
かまうことはない
断然として登校するだろう
持ち物は何もなく
せめて体だけでもと駆けつけるだろう
駆けつけてみれば
なんということ
元のままのクラスの生徒がそろっているではないか
すっぽりと抜け落ちた時間
明日から中学生だって
やれるんだ
5月黄金週間から7月海の日まで祝日はない
うるわしの5月が過ぎ去ると梅雨の季節が到来する
梅雨の季節の終わりとともに炎暑の夏が居座る
一年のうちで気候的に苛酷な時期に
祝日のない時期が一致する
それはそれとして 夏の到来は夏休み気分にさせてくれる
気分だけは夏休みだ
義務というものが免除されていたこどもの頃
義務が満載のおとなになってからの日々
それはそれとして 夏の到来は夏休み気分にさせてくれる
登る山 泳ぐ川 船を出す海
手を伸ばせば容易にとどく距離にある
想像せずにはいられない
これは私の夏だから
これが最初の夏であるかのように
これが最後の夏であるかのように
味わい尽くさなければならない
惰眠の底へ落ちていかないように
目を見開いていなければならない
いつまでも いつもでも
空高く輝く陽が あたかも不動に見えていたのが
いつしか山峰の向こうへ姿を隠す
いつまでも いつまでも薄暗がりが あたかも不動に見えていたのが
いつしか闇が訪れる
闇の中に身を置いていると あたかも自分が闇に溶けていく
融けていく 闇の中に
それは悪くない感覚だ
それは心地よい感覚だ
闇とともに融通無碍 行けぬところがなくなる
いつまでも いつまでも 闇そのもになって
やがて来た朝の前で 融けてゆく雪のように
解けていく 解けていく
こぞの年ついぞ水田を見ず
稲穂の実りたるを見しのみ
今年こそ水田を見なければなるまいて
陽気に誘われ田園地帯を
歩いて回った
どこにもそれはなく
乾いた地面が連なるのみ
とうとうこの地も稲作を放棄したか
日焼けした老婦を見つけ問うてみた
あと3週間だよ
カエルが鳴いてうるさくなるよ
6月になったら、梅雨の頃、
水田を見て回りに来なくてはならぬ
失われゆくみずほの国の景観を
記憶に焼き付けなくてはならぬ
人によってはTDLとUSJがなくてはならぬものの筆頭だ
おのれにとっては水田、海岸、砂浜だ
文句は誰にもあるまいて
とある人物の誕生日である
祝いの食卓に
不在となった
飾られた花も
ピカピカに磨かれた皿も
不在をいっそう際立たせる
空っぽの器にやがて
飲み物が注がれ
心に記憶が訪れる
主役不在の誕生日に
満たされるものがあった
空青し 山青し 海青し
blue sky
blue mountain
blue ocean
きょうは緑の日
green day
青から緑へ
愛される色は移ろうけれど
青の深みに我を忘れて
緑の色の豊かさに心は融ける
きょうはみどりの日
blue dayではないんだよ
(望郷五月歌は佐藤春夫が故郷の
紀州を歌ったもの)
宝石がありました
365個もありました
12の箱に入れました
1月の箱に31個
2月の箱に28個というふうに
どの箱もどの箱も輝いていました
あなたと過ごした夜と昼
365個もありました
12の箱に入れられて
あなたが満1歳になるまでの
宝石のような月日
右手にスマホ
左手にガイドブック
世はまさにツーリズムの時代
自動車修理屋のオレに言わせれば
右往左往の時節ってもんよ
小学校の幼馴染に会いに行くとか
そういうことをしたいもんだ
グルメだ ヒラメだ メカジキだ
そんなもんよりオレの釣ったスズキを
あいつに届けてやりたい
『ナチュラル・ハウス・ブック』という題の
建築分野の本があった
その中に
『隠れた跳躍』という題の本が
扱われていた
誤訳なのだが
『沈黙の春』がよく知られた邦訳の本である
原題が言わんとするのは
鳥の鳴かない春のことだ
種々の化学物質のために
鳥がいなくなってしまった
あとには沈黙の春が残された
鳥が鳴かないことをもはや忘れ去った
われらが耳には
軍団となって疾走するバイクの騒音や
オープンカーから
流れてくる音楽が
春を告げる知らせである
いつの日か
スマホがウグイスの鳴き声を
知らせる日が来るのだろう