春が来るたび無知を思い知る(平成28年3月6日)

中原中也 「また来ん春」

また来(こ)ん春と人は云(い)う

しかし私は辛いのだ

春が来たって何になろ

あの子が返ってくる来るじゃない

おもえば今年の五月には

おまえを抱いて動物園

象を見せても猫(にゃあ)といい

鳥を見せても猫(にゃあ)だった

最後に見せた鹿だけは

角によっぽど惹かれてか

何とも云わず 眺めてた

 

こどもだから無知はあたりまえ

無邪気ゆえにかわいらしい

笑っていればいいのだが

にわかに不安に襲われる

幼児と自分と どれだけの

違いがあるのだろう

象を見せても猫(にゃあ)といい

春だ 桜だ 花見酒

鳥を見せても猫(にゃあ)だった

春だ 桜だ 花見酒

どこが違う

春が来るたび

われらが無知を恥ずる

遠くへ来たわけではないことを

ただ古びただけであることを

思い知る

 

もっと遠くへ(平成28年3月6日)

人は決まって遠くへ行きすぎる

人は決まって遠くへ行きたがる

困ったものだが

それは人の習性

それは社会の習性

遠くへ行きすぎると どうなるか

決まって難民となる

なにゆえに自分はここにいるのかを

知らずして

りっぱな暮らしをしてはいても

心は難民である

まして零落していれば

身も心も難民である

難民にならないように

遠くへ行きすぎるなかれ

降参(平成28年3月4日)

相手の興味あることに

関心を持ち

異質のものを

受け入れる

それは降参だ

それは屈服だ

降参する者

屈服する者だけが

生き延びる

それを愛と呼んでもかまわない

我を張る者は

勝利しながら

得るものはなにもない

言葉は変わる(平成28年3月2日)

言葉は生き物

不思議にも下落していく

時は過ぎ

人は変わり

言葉は遷り変わり

万物は流転する

貴様は罵り語になり

御前が蔑称になり

大将は揶揄語となり果てた

 

一所懸命が

一生懸命になり

息抜きの暇とてない

暗黒の雲が空をおおう

人はもはや青空を知らない

 

発達障害や人格障害 

あまたある精神障害が

あろうとなかろうと

ただひとつのものに

貫きとおされた日々の営み

一所懸命だけが

あらまほしい人の姿

 

 

 

 

思えば遠くへ来たものだ(平成28年2月27日)

山のいただきで

思えば遠くに来たもんだ

鼻唄をムーミンが歌っていると

うっかり遠くへ来すぎたもんだ

とこだまが聞えた

時は夕暮にはまだ遠いのだが

帰らなくては

還らなくては

ムーミンの心にささやくものがあった

 

夕暮までに帰り着くだろうか

ムーミンの胸は不安ではりさけそうになった

谷間の家の台所から

流れてくる夕餉のにおい

食卓のしたくをしているお母さん

家の壁のペンキ塗りしているお父さん

早く会いたくて

ムーミンは靴が脱げたのも忘れて

足を早めた

 

足取り重く(平成28年2月21日)

足取りは重く

前へと進まない

後ろ髪がひかれて

しかし何が後ろ髪をひくのか

いぶかしいのだが

 

ちょうど春もまた

3月が近いというのに

足取りは遅く

訪れる気配すらない

 

今は立ち止まるときだ

こんなに遠くへ来たのだから

前進を断念すべきときだ

これほど遠くへ来てしまったのだから

引き返すときだ

旅は終わろうとしているのだから

 

 

 

 

 

モネの目は白内障になっていた(平成28年2月14日)

きょうの日曜美術館

モネの展覧会がいま福岡で

開催されている

水蓮を描き続けたモネ

しかし晩年には白内障に

悩んだ

黒いサングラスをかけた写真が

残されている

日光をさえぎる治療法が当時には

主流だったのだろう

現代なら

白内障は手術で治る病気のひとつだ

もしモネの目が現代の手術をされていたなら

もっともっと

水蓮を描いてくれたことだろう

春一番(平成28年2月14日)

落下物 飛遊物

粉塵 枯葉 犬の糞

当たらぬように気をつけていても

あとは運まかせ

春一番

強風とともにしか春は来ないのだから

 

なまあたたかで

どこか冷たく

宙ぶらりんの

春一番

 

こんな日には出歩かなくてよいのだが

動物 植物

春のきざしに会いたくて

何にも会わず

花粉だけをたっぷり吸いこんで

家路についた

 

サプライズはいらない(平成28年2月13日)

あくびができるような

判で押したような

そんな毎日がいい

サプライズはいらない

 

びっくらこいだ

亡父が口にしていた気にいりの文句だった

びっくらこぐような日は来ないでほしい

 

時をへて今はびっくらぽん

ひびきだけで笑いをさそわれる

けれど

びっくらぽんもいらない

 

鉄道ダイヤのように

何もかもが定められた秩序のもとに

始まったオーケストラが楽譜を

きざみ終章へたどり着くように

 

サプライズのない一日をきょうも願う

 

心配性の一日(平成28年2月11日)

どんなにたいくつな家庭であっても

住まいとは隣りの家から遮断された

そんな空間のことだ

遮断の壁が取り払われたらー

隣りのオヤジがむすこをなぐった

その隣ではむすこがおふくろをなぐった

こんな話を聞くたびに

心が騒ぐ

騒いだ心は簡単には静まらない

 

家なるテレビのおかげで

難民のこどもが波打ち際に

打ち寄せられた

目を覆いたくなる映像

我が子と年も変わらぬ

その姿に目の前が暗くなる

地震によって振動するマンションの

まさに倒壊する映像

自分の住んでいるマンションが

もし倒れたら

きっと自分もこどもも

助からないだろう

 

せっかく遮断壁の内に住みながら

住まいなるテレビのおかげで

自分の無力が身に染みて

心配性の一日がすぎていく