松くい虫にやられてしまった
赤松が切り倒されることになった
切り倒し作業は困難をきわめる
庭園の主は残念な表情をして
作業現場をうろうろしながら
眺めている
植えてから40年
15メートルを超えた巨木が
一日で切り倒された
風のとおりがよくなり
あたりには松の香がただよっている
松くい虫にやられてしまった
赤松が切り倒されることになった
切り倒し作業は困難をきわめる
庭園の主は残念な表情をして
作業現場をうろうろしながら
眺めている
植えてから40年
15メートルを超えた巨木が
一日で切り倒された
風のとおりがよくなり
あたりには松の香がただよっている
耳に心地よい詩を書くのが
詩人の仕事ならば
そうするだろう
目に美しいものを歌うのが
詩人ならば
そうするだろう
口当たりのよい文句を
連ねるのが詩であるならば
そうするだろう
暗く哀しい歌を歌わねばならないのなら
そうするだろう
絶望に淵があるのなら
淵に沈み嘆きの歌を
歌わないといけないのなら
そうするだろう
なんという無節操
根拠なき自信だね
と人は嗤う
いいのだ嗤ってくれて
しかし人は知らねばならない
自信に根拠を求めることの結末jを
他方には
根拠なき劣等感とともに
生きる人がいる
当人にとっては
根拠があると言うのだが
いくら言い聞かしても
聞く耳はどこへやら
友だちが転校していくので
ぼくは泣いた
見ていた母は
会うは別れの初めだから
なぐさめにもならない言葉を
言うのだった
何年かしてその友だちと
再会したのだがお互いに
ぎこちない態度で時間がすぎていった
友だちであったあの時間が
二度とは戻らないことに
僕は肩を落とした
中古腕時計の収集が
趣味の男がいた
安物を買い集めてはコレクションを
作り上げるのだった
そんな男が言う
近頃の時計はさっぱり面白くない
本当かどうか
計り知れないのだけれど
物語『モモ』の中では
時間とは心のこと
逢瀬の別れ際に男が時計を見るのが
女にはさびしかった
時計ではなくて
私の目を見てちょうだい
女はいつも言うのだった
目は私の心そのものだから
さあ夕飯の買い物に出かけなくては
腰をあげた母に向かって
お母さん
行かないで
外は暗くて雪が舞い始めてる
ボクはひとりでさびしくなるから
きのうの残り物を食べようよ
私は年老いてしまったから
さあ逝かなくては
お母さん
いかないで
いかないで
ひとりで生きていける
そんな年にはなっていても
ボクには代わりになるような友達もいない
どこまでも続く
果てしない雪原をマフラーを
巻いた母がただひとり歩いていく
遠い所へいってしまう母の
姿がいつまでも見えるのであった
数え年で数えていた時代があった
正月にひとつ年をとる時代があった
そのころ誕生日はどんな日だったのだろう
子を産んだ母にとっては出産の日
出産の日を思い出すのが子の誕生日なのであった
英語を見てごらん
birthday
birthは出産のことだから
birthdayはホントは出産日なのさ
それなのに
birthdayは誕生日と
日本語になってしまった
子にとって
birthdayは母を思う日
自分の日と思ってはいけないよ
秋だから
そして晴れていたから
先祖のことを思うてみた
記録に残る先祖ではなく
弥生時代いや
そのまた昔の大昔の
先祖のことを思うてみた
先史時代 石器時代
衣服はむろんなく極寒極熱のなか
ひもじいままに
大陸を歩きに歩いてこの地に
たどり着いた先祖のことを
その強靭なる精神と身体とを
思うてみた
おしゃべりな詩人がいた
ユーモア 機知 ウィット
あらゆる話題で楽しませてくれた
しかし詩神はとんと降りて来なかった
おしゃべりな詩人は
父が逝くと寡黙になった
時が過ぎて
母が逝くと
もっと寡黙になった
時をおかずはらからが逝くと
語る言葉を失い沈黙した
そうして
詩神は降りて来たのだった
半世紀にわたり読み継がれている本。
大島みち子さんの詩を再録したい。
病院の外に、健康な日を三日下さい。
一日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。
そしておじいちゃんの肩をたたいて、
それから母と台所に立ちましょう。
おいしいサラダを作って、父にアツカンを一本つけて、
妹達と楽しい食卓を囲みましょう。
二日目、私は貴方の所へ飛んでいきたい。
貴方と遊びたいなんて言いません。
おへやをお掃除してあげて、
ワイシャツにアイロンをかけてあげて、
おいしいお料理を作ってあげたいの。
そのかわり、お別れの時、
やさしくキスしてネ
三日目、私は一人ぽっちで思い出と遊びます。
そして静かに一日が過ぎたら、
三日間の健康ありがとうと笑って
永遠の別れにつくでしょう