漢和辞典(平成26年2月23日)

芙蓉の花が枯れ、実をつけて寒風にゆれる。

ひとつちぎってみると、綿毛に包まれた黒い実が

のぞく。

きょうも学校で

先生に叱られた

友達の誘いを断って

いえに帰った

二間だけのアパートの隅っこで

本を開いた

いえの中には本が2冊あって

どちらもお気に入り

漢和辞典とことわざ辞典

なみだには漢字が三つ

いちばん好きなのは

だって書きやすいから

 

苦労するために生まれてきた(平成26年2月22日)

雨にも負けず

風にも負けず

昔、詩人は歌った

そして今

雨にも勝てず

風にも勝てず

雪にも日照りにも勝てず

陽ざしは少なく息さえつけない

土凍り根は水を吸えない

苦労するために生まれてきたの?

隣に問うてみた

そうなんだよと返事が返ってきた

三日間降り続いた雪がやみ太陽が輝いた朝、

今だ、今しかない

つぼみを守り紅色の小さな花を

力の限り開かせよう

公園の誰も見ない

生垣のさざんか

子どものボールが転がっていく

散る準備はできた?(平成26年2月16日)

風の冷たい日曜日。

保津川下りの船が運休中のこの時期、嵐山も嵯峨も

人出が少なくなる。寒村のようだ。

風が冷たく吹くのを生垣にそって歩いてよける。

散歩しながら、とあるうちの垣根の樫の木が

目に入った。

夏の暑さにも冬の雨風、雪にも耐えてきた葉なのだが、

虫に食われてぎざぎざになり、今にも力が尽きて散りそうだ。

常緑樹と言われる木々も春先になるといっせいに

葉を落とす。一年間、光を浴びて呼吸してきた

古い葉は役目を終えて、散っていく。

そして新しい葉。それは本当に美しい。

次の春まで1年間、役目を果たすのだ。

好きな木(平成26年2月15日)

浄水場の跡地に植わった1本の木。

ポプラの木だ。

さかさまに立てられた竹ぼうきのよう。

満員電車に詰め込まれ肩をすぼめる人のよう。

これがボクの好きな木なんだ。

背丈が高いので、周りには高い建物がないので

遠くからも見える。広々とした空間に

枝を横に張り出して美しいシルエットを作ればいいのに、

窮屈そうに枝が幹に添う。密集林に植えられたと

勘違いでもしているのか。

北国の木のはずなのだが、近畿のこんな所に来たのだ。

ボクの暮らす四里四方の内で

一番好きな木。ポプラの木。

雨風の強い二月の今夜、

真っ暗がりの中、枝はさびしく揺れて

さかさまほうきのように

僕の心も揺さぶられる

 

偶然、それとも必然(平成26年2月13日)

エサになるような物が何もなくて、

食事中のこちらを見ては、悲しそうな声で鳴く。

空腹を訴えるような目つきとしぐさ。

こんなでき事も偶然なのか、それとも必然なのだろうか?

今朝、通勤の道で知り合いのOさんに出会った。

京都に来ることが決まり、家探しをするとき、

空き家を見つけてくれた人だ。

その竹林に囲まれた空き家が気に入ってというよりも

空き家のあるあたりの風景が気に入って、

ついに今の住処を見つけた。

もしOさんが家探しをしていなかったら、家探しを

しても竹林に囲まれた家が空いてなければ、

おそらく今の住処には至っていなかっただろう。

これは偶然なのだろうか、それとも必然なのだろうか?

数年前、Oさんが田中クリニックにやってきて、

「寝れないよ。先週、兄貴が死んでしまった。

死に際に大きな息をしていたのを思い出したら、

寝れなくなった」

ふだん威勢のいい人なのに、憔悴した様子だった。

この人にも、死ねば泣くようなお兄さんがいたのだ。

人の心を感じさせられたときだった。

すべての道(平成26年2月11日)

すべての道はローマに通じる。

目をさまして、真っ先に頭に

うかんだのは、

すべての道はローマに通ず。

これが一番大事な目標というものがあるとして、

一見なんの関係もないようなあれこれの作業や

用事があるときに、このことわざを思い出してみる。

なにをしていてもローマに到着するのだ。

エナジーがわいてきた。

 

夕焼け(平成26年2月11日)

よく見ないと見えないくらいの小さな月が

夕焼け空に浮かぶ。葉を落とした枝の

ずっとずっと遠くに。

祝日。

風が冷たく、かぶっていた帽子を

さらに深くかぶった。

犬を連れたご近所の人が

通りがかった。

同じような帽子。

暗くなって空を見上げると

半月よりはふくらんだ月が

夕方より大きく明るく光っていた。

 

真逆(平成26年2月10日)

ときどき目にする、真逆ということば。

こんなことばはあったのかな?

それにしてはよく使われている。

正反対という意味だという。

それなら正反対と言えばいいのに、と思う。正反対だって、

反対を強めるために「正」を付け足したのだから

逆を強めるために、「真」をつけたのだろう。

真正面とか真昼とか真夜中と同じこと。

2か月に一度、診察にやってくる70代半ばの

紳士、S氏はいつもこうおっしゃる。

「お元気でしたか?」

「はい、わりと元気に過ごしていました」と私。

まるで私が診察を受けているみたいだ。

そうなんだ。

これが真逆なんだ。

つらら(平成26年2月9日)

つららが水中にまで延びているように見える。

冷たい風が細いつららをゆらす時、

深夜にひとり赤ん坊が生まれた。

2月になって初めての出産の立ち合い。

京都に来てから、かれこれ10年近く、

立ち合いをしてきたのがしきりに思い出された。