
よく見ないと見えないくらいの小さな月が
夕焼け空に浮かぶ。葉を落とした枝の
ずっとずっと遠くに。
祝日。
風が冷たく、かぶっていた帽子を
さらに深くかぶった。
犬を連れたご近所の人が
通りがかった。
同じような帽子。
暗くなって空を見上げると
半月よりはふくらんだ月が
夕方より大きく明るく光っていた。

よく見ないと見えないくらいの小さな月が
夕焼け空に浮かぶ。葉を落とした枝の
ずっとずっと遠くに。
祝日。
風が冷たく、かぶっていた帽子を
さらに深くかぶった。
犬を連れたご近所の人が
通りがかった。
同じような帽子。
暗くなって空を見上げると
半月よりはふくらんだ月が
夕方より大きく明るく光っていた。
ときどき目にする、真逆ということば。
こんなことばはあったのかな?
それにしてはよく使われている。
正反対という意味だという。
それなら正反対と言えばいいのに、と思う。正反対だって、
反対を強めるために「正」を付け足したのだから
逆を強めるために、「真」をつけたのだろう。
真正面とか真昼とか真夜中と同じこと。
2か月に一度、診察にやってくる70代半ばの
紳士、S氏はいつもこうおっしゃる。
「お元気でしたか?」
「はい、わりと元気に過ごしていました」と私。
まるで私が診察を受けているみたいだ。
そうなんだ。
これが真逆なんだ。

つららが水中にまで延びているように見える。
冷たい風が細いつららをゆらす時、
深夜にひとり赤ん坊が生まれた。
2月になって初めての出産の立ち合い。
京都に来てから、かれこれ10年近く、
立ち合いをしてきたのがしきりに思い出された。

立春がすぎて気象がめまぐるしく変化している。
春の予感を高めてくれる。
夜中、音もなく、ふりつもった雪。
手前が小倉山。奥が嵐山。あいだに
河が流れて、渡月橋をくぐる。橋まであと
1キロに近づいている。

手水鉢のそばを通ったら、つららを見つけた。
竹の注ぎ口と水面を橋渡しするようにできた
まっすぐな棒のような形だ。
中学校1年生の3学期の今頃、
週に1回、習字の時間があった。
回を重ねるうちに楽しくなってきて
心がおどる感覚がうまれてきた。
そのときに書いた字は高得点を
つけてもらった。
けれど、その時が学校で習字を習う
最後の授業だとは思いもよらなかった。
習字の私塾に通って、もっともっと書いておけば
よかった。小さな後悔である。
そう、人生とは無数の後悔の別名なのだ。

先月の終わり、映画館で映画を見た。
ハンナ・アーレント
ヘビースモーカーで
一日に80本のたばこを吸ったという。
映画の中のハンナは白くて長い美しい指をしていた。
しかし本当のハンナの指は黄色くなり、
爪までも黄色になっていたはずだ。
摩天楼の見えるアパートの書斎にこもり
たくさんの哲学の本を書いた。20冊もある。
1ページまた1ページと読んでいくと
タイプをうちながら吸ったタバコのにおいが
ただよってくるように感じられるのだった。

道路ぎわに置かれた手水鉢。
散歩中の犬が水を飲んでいるのを
見たことがある。犬飲鉢と名まえを
変えた方がいいな。
苔がまといつき、草がおおい、
梅もどきの赤い実がささやく
無人の村の
打ち捨てられた庭の一隅のよう
朝日は鉢の氷をとかした

ざらめのような雪がうっすらと積もった。
地域ネコは今朝もガラス窓にやってきた。
三好達治の有名な4行詩がある。
太郎を眠らせ
太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ
次郎の屋根に雪ふりつむ
たわむれに、このあとに
4行をつけ足してみた。
黒猫に食わせてやれ
黒猫の背中に雪ふりつむ
白猫に食わせてやれ
白猫の背中に雪ふりつむ

色とりどりの豆。
節分にまくはずだったのに、食べてしまった。
ニッキの味がした。
とあるうちの、きのうの豆まき。
たくさんの部屋があって、どの部屋でも
豆まきをした。たくさんの豆が床にころがった。
掃除がたいへんである。
ところがこのうちには掃除人がいて、きれいに
片付けてくれた。
掃除人の名まえは信玄。
うちではみんなから信ちゃんと呼ばれている。
信ちゃんは甲斐犬なんだ。
そして豆が大好き。

冷え込んだ朝。
いつものように地域ネコが窓ぎわに寄ってくる。
空腹のはずなのにみかんには見向きもしない。
立ちあがって窓ガラスを2本の前足でこする。
早くエサをちょうだい!
春が立つ朝に
ネコも立ち上がるのだ。
早くエサをちょうだい!