失われたものよ
よみがえれ
6月の夕空はどこまでも青く澄みわたり
きみの瞳にうつっていた
いつまでものぞいていたかったのだが
愚かな者は帰り道に心を奪われてしまった
失われた6月の空の色も
きみの瞳も
失われたものよ
よみがえれ
失われたものよ
よみがえれ
6月の夕空はどこまでも青く澄みわたり
きみの瞳にうつっていた
いつまでものぞいていたかったのだが
愚かな者は帰り道に心を奪われてしまった
失われた6月の空の色も
きみの瞳も
失われたものよ
よみがえれ
数限りない思い出がわきあがる6月
暮れなずむ空の色に
とけていく時刻におきたこと
ばかりがよみがえる
いつまでも暮れないで
夕焼けがいつまでも続くように
願ったあの日々
失われたるものはなぜかくも美しい
ネット検索をかけてみると
歌の意味の説明が物足りない
補足してみた
瓜はめば なぜ こどもを
思うのか
こどもにこんなにおいしい瓜を
分け与えて食べさせてやりたいのに
それが今はできない
栗はめばましてしのばゆ
栗を食べているとあまりにおいしいので
わが子にこの栗を食べさせてやりたい気持ちに
かられる。しかしそれが今はできない。
瓜 ⇒ おいしい ⇒ こどもにこれを食べさせてやりたい
⇒ それなのに今はそうすることができない
⇒ そのせいで安眠できない
こどもに食べさせてやりたいのにできない
これこそが憶良の心情であり
共感をさそうのだ
著名な建築家なのだが
「隠れた跳躍」と翻訳してしまった
「沈黙の春」を知らなかったのだ
分野が違えばこんなことが起きる
5月が去って、沈黙の春は終わった
サイレント・サマーが来た
水田が消えてカエルの鳴き声の
ない夏が来た
しかし汝嘆くなかれ
セミが鳴くまでのあと1カ月
沈黙を悲しむなかれ
静寂続きの夏の夜にこそ
想いはあふれ
父母しのばゆ
あの強靭な精神
あの壮健な身体
比類なき単独峰
及ぶことはできない
どれだけ助けられたことか
フロイトかく語りき
人生は有限である
すべての物事は満ち足りることがない
この法則のもとに
衆生は生きねばならない
耳にした人も多いと思う。
パウロの愛についての言葉。
その時代、活字を読むのではなく
人々は耳でこの言葉を聞いた。
忘れないために
思い出すために
何度でも読み返さなくてはならない
われとわが骨身になるまで
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愛は寛容なもの、
慈悲深いものは愛。
愛は、ねたまず、高ぶらず、誇らない。
見苦しいふるまいをせず、
自分の利益を求めず、
怒らず、
人 の悪事を数え立てない。
不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。
すべてをこらえ、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ
年に一度
若者のいない町に神様が還ってくる
還幸祭に神幸祭
今年もお還りのときが来た
御神輿を担ぐのは腰痛の出始めた
中年者ばかり
とうとう今年は御神輿に車台を
とりつけた
それでも腰はみしみしと音がするほど
酷使された
掛け声は弱弱しく
目には日ごろの悩みの色を浮かべている
翌日の朝
整形外科に接骨院に
大勢がおとずれた
祭りはマンネリそのもの
それでいいんだ
きみマンネリをあざわらうことなかれ
人生とはマンネリのことだから
たった三つの原色から
千変万化の色合いができあがる
これほど美しい現象はない
空の色 海の色
地中海は紺碧の海
新しき背広を着ていくようなところではないけれど
あまりに遠い
魚一匹とれないというが
本当か
プランクトンのいない
純水と塩化ナトリウムの世界
だから紺碧
どんな虫だか知らないけれど
苦虫をかみつぶしたような
表情の男がいた
しもた屋に陣取って
道行く通行人に目をやっている
さかんな店をしていたものだが
今は誰もその男に
目をやらない
公道にはみ出さんばかりに
並べられたトロ箱には
大根、キャベツ、葉っぱもの
どれもこれも貧弱そのもの
相当の年なのだろうに
ひとりポツンと座り込んでいる
その隣に似合うのは
この私かもしれない
天気予報のとおり午後には雨が
降り出した。
8時近くなった帰宅の頃には
小ぶりになっていた。
歩道に1匹、みみずがはっていた。
植え込みから転落したのか、
コンクリートの上をさまよっていた。
このままでは歩行者に踏まれるか
歩道を走る自転車にひかれるか
そうでなくとも明日晴れ間が出たら
日干しになりそうである。
素手でつかむのは気味悪いので
大きな葉っぱにくるんで植え込みの
土の上に置いた。
まさか恩返しはしてくれないだろう。